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カテゴリ:レビュー
ヤリたい女をとるか、貞淑な女性と結婚するか。
と訊かれたら、まず100%の男どもは「資産家の女と結婚して、義父のチカラで自らも上流社会の一員となり、安定した暮らしをしながらも、なかなか手に入らない無理目で、エロくて、セクシーな女とヤレる限りの激しい性愛を楽しみたい」と思うだろう。(こんな具体的な返事は誰もせんが) まじめな家庭生活を送り、最近第一子が誕生してパパとなったばかりのA君だって、ハセキョーに言い寄られたら(それもまず見つからない、そしてハセキョーは激しく臨戦態勢)、行くよ、ね? この映画の主人公はどちらも得てしまうのだ。え?それでは物語として成り立たないって?そう、アレンの映画は成り立っていないのかもしれない。が、とにかく現在のウディ・アレンは、とどのつまり人生は運勢には逆らえないと考えている。上昇志向の強い若者がその押し出しの強さと強運で、ありえないポジションにあれよあれよと着いてしまうことは実際にある。例えばホリエモンとか。 セレブの女にみそめられて、申し分ない上流家庭の中に入り、彼らの経営する一流企業に入って仕事もバリバリ。グングン運気は増す中で、男は欲情させてくれる女を獲得することも諦めることができない。で、おかげさまでヤレた後に、男の煩悩というものはそれで解消されることもなく、増すばかりナリ。誰だって友人がそんなことをしようものなら「悪いことはいわないから、ヤメとけよ!」と忠告するが、自分がその状況に置かれると、危険を冒してでも、エロい女を手にしたいと思うものだ。 最近の例では民主党の細野議員と山本モナの一件がまさにコレ。細野は見つかり、運がなくて残念だろうが、運がないほうが、実はラクかも。映画の中においての強運男は、強運だけに苦悩も大きいのだな。 「自分が幸せでないのは運がないからだ」、とか、「もう少し運があれば成功できたのに」と密かに悲観する人間は多いと思う。アレンは常日頃より、運命についてあれこれと考え続けてきた男であり、その時の心境を作品というカタチで結晶として残す行為を行ってきた。アレンの映画は、いつでも自分の心象スケッチの延長なのだ。 努力より運だ、と2005年のウディ・アレンは考えている。 ならば、貧乏な家に生まれてしまった人、才能が今ひとつな人が努力することは無駄なことなのか。その先について考えてみたい方は、是非、この映画を観て考えてみて欲しい。お爺さんとなったアレンのロンドンでの初作品。枯れた味があるのに、テンポは相変わらずによくて、音楽がまた、素晴らしい。2時間を超えるというアレン作品らしからぬ長時間だが、私は100分くらいにしか感じなかった。 A君やT田にも劇場に足を運んで欲しい。そのくらいお薦め お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月07日 03時31分49秒
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