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この歳になるとさすがにドキドキする恋愛をしたいとは思わなくなる。恋愛をバーやスナックに例えると、ドアを開けてから、会計をして出てくるまでのプロセスが重いドアを押して中を見た瞬間に察しがついてしまうのだ。バーのドアは重たいものだが、あの重厚なドアが曲者で、一度押して、「イラッシャマセ!」と言われてしまうと、もう踵は返せないもの。
私が近親憎悪に念に駆られるリリー・フランキー氏が、「この年になるとセックスは、添い寝だけでいい」なぞといっているらしい。非常によくわかる。究極のセックスを添い寝であると最近考えるようになった私は、とうぜん、添い寝の相手を見つけたいと願うのだが、添い寝といえども深い哲学があって、ようするに、ぐっすり眠ることのできる女はどんな女かという命題に導かれていくのである。 例えばマドンナが横に寝ていてリラックスできる男って稀有じゃないかな。アンジェリーナ・ジョリーあたりもそう。ガイジンの例えではわかりにくくて申し訳ないが、映画『バッファロー‘66』におけるクリスティーナ・リッチ。コレだ!オレサマの理想とする女よ。実際、添い寝のようなシーンがあって、イカッタ。 男って、ベッドの上で煙草を吸いながら(私は喫煙をしませんが)その女との成り行きを後悔することも多いのではないかと思う。バーの扉と同様に押してしまったあとに踵を返せずに…、ってこと、あるでしょ、お兄さん。だからって扉を開けてみなければ始まらないわけで、1回で馴染みのお店に出会い、結婚できた人は幸せだと思う。何もいろいろな店を巡回することはちっとも偉いことはなく、1つのお店を愛することができればママは一番うれしいことだろう。 私のように、妙に匂いをかぎ分ける能力がつくと、夢見がちになれなくて、またリスキーなお店のドアをあえて開けてしまったりするようになる。ハプニングに楽しみを見出し、トラブルを待ちうけるという危険な遊びだ。 重い扉を開けていく作業をはしょり、名刺をばら撒いていくという散弾銃作戦を空想してしまうところが、最近の私にはある。B級事件で、本屋で女性用のエロ雑誌(綺麗だっけ、あとレディコミとか)に自分のイチモツ写真やメアドをつけていた男が逮捕されたという話を聞いた。発想が、私にそっくりでびっくりした次第だ。男のもとにはけっこうなメールが届いたという。私も、町を歩いていて「アッー!」と思った女性に、つかつか近づいて名刺を渡して去っていくという種まきをやってみようかと空想することがあるのだ。ケータイのアドレスと電話番号と名前が書いてある名刺。一言、手書きのコメントがあるといかも。10枚配って、1つ返ってくれば御の字か。いっぺんに配ると誰からのレスかわからなくなるな。 あー、くだらん空想。 それで、理想の添い寝にたどり着けるかってことだ。無理だよな。オレサマは永遠に添い寝でぐっすりとは無縁なんだ。よくしゃべる巨大マクラの話をひたすら傾聴するのがほとんどの男性諸君の運命なのだ。ノシ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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