|
テーマ:鬱病(2269)
カテゴリ:メンヘラー!
バスケット部でいじめられて自殺した少女は、まさかこんな形で一生を終えるとは思っても見なかったろう。茨城の校長の自殺もまた痛々しい。死をもって「宜しく頼みます」と教育委員会や文部科学省へお願いをした。履修問題が発覚してまだ8日足らず。この一週間で人生のエンドを決定する出来事が起きたのか。人生の歯車って狂いだすと意外とあっけなく崩壊してしまうものなのだな。
この私も、長いうつ病で何度も自殺念慮に襲われてそれと闘い、ようやくつらい身体症状を抱えながらも意欲だけは回復してきて、再就職活動をここ1ヵ月行ってきた。この辛さをどうにか乗り越えられそうな気持ちになってきたが、どちらかは受かるだろうと鷹をくくっていた2社ともに不採用となり、精神的にも身体的にも、後退している。まずいぞ、と思う。 やはりショックだったんだな。 そんな中にあって、自宅に母がいれば、必ず父と母は口論をし、もしも木造建築であれば近所に聞こえるような大声で父はヒステリックに怒鳴る。(私の転職がうまくいかない状況が父が母にいらつく焚き付けにもなっている)不和でありながら介護の関係を継続している様子を、私はいつでも見ていなければならず、その怒鳴り声が私の精神衛生にどれだけよくないかをアルコール依存でもある父は考えない。精神的な成熟度に欠ける老人なのだ。この短気は、今後、死ぬ間際まで増長するであろう。母は母で父がヒステリーとなる働きかけをするのだ。元もとのキャラクターによるところと、脳梗塞の後遺症で、高次のかけひきや衝突防止策を行わなくなった。痴呆ではないのだが。施設においてはそんな行動は決してしない。 なんでまた、このような親の下に一人息子として生まれてきてしまったのだろうか。 スピリクチャルな考えにソウルメイトなんて考えがあるが、鼻で笑いたいよ。じぶんの友人、親といった人たちは、己を成長させるために用意されたのだと?誰が用意したんだい。神様は乗り越えられない障害はお与えにならないだと?餓死する子供たちにいえるかい!そんなたわ言。 オレサマは実存的虚無感をお感じになられて、現世より逃げたくなってきたのだよ。 オレサマはよくぞ41年間、生きてきましたよ。非行にも走らなかったし。とりあえずジョン・レノンより長く生きた。結構生きているのだが、ささやかな幸せを感じてみたいのだ、私だって。まさか、自分の人生が、こんなに波乱に満ちたものになるとは思わなかった。それは他人事だと思ったし、社会に出て仕事をし、家庭をつくれば、家族の呪縛から逃れられるんじゃないかとぼんやり思っていた。が、家庭に問題を抱える子供がまっすぐに育つのはなかなかに難しいのだ。だから、私自身、ソーシャルワークを仕事とした。複雑な家庭環境に接することで、じぶんの人生にも好影響を与えてくれると思っていた。でも、そんなことはなかった。 私の関心は、風俗嬢とか東南アジアのホステスに移っていった。興味本位というよりもっと深い連帯を求めていたのだ。セレブレティーが集まってパーティーをするように、すねに傷持つもの同士集まって、社会の底辺で仲良く慣れればいいなと思った。でもこの目論みも結局うまくいかなかった。お金が原因で仲たがいすることが多いのだ、世界の最下層は。 うちの奇妙な家族の状況は、映画『チョコレート』にもよく似ている。狂い加減が。私はハル・ベリー役を求めているのだろうか。 ここでグダグダいわずに、午後は後輩Sの家にいってやつの赤ちゃんを抱き、夜は先輩K子さんと食事をしよう。現在の私は崖っぷちなり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|