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カテゴリ:精神病院より
今週の病棟帰還前覚書時間がやってきた(よみづれー!)
毎週、わざわざネットカフェでブログを更新するにもわけがあって、これは自宅のPCが2週間ほど前より突然ブラウザが使えなくなるという事態が生じたためだ。すぐに直すのがスジだが、私はまず、光ネットの接続をうたがい、プロバイダのサポートに連絡した。結果、通信はちゃんとできていることが判明したのだが、サポセンにつながるまでになんと80分を要した。あの徒労を考えると、エプソンのサポに電話するのも非常に億劫だ。もうひとつ、イー・モバイルのサポセンもやや億劫だな。感じは悪くないがな。 週の半分以上を外泊していて、日常生活をすごしている私は病人なのだろうか、と思うことがあるが、これから病院のじぶんのベッドで新しいシーツを張って横になると安堵を覚えるのであるからやっぱり病人には違いないようだ。いつから病人をやめるかは病人次第なのだが、私の場合は就業ができたときといえよう。が、これが、なかなかに難しいのだ。 3社平行して進めていた面接は1つ断り、1つ断られ、残るは1社となった。この会社に木曜日にはクルマで1時間以上かけてとある施設まで出向き、翌日、金曜日には本社へいって偉い人と面接した。結果は7日以内に連絡はなかったら不採用というルールだそうだが、なにかしら連絡すると面接者はいった。まあ9割がた大丈夫だと思っているが、先日、不採用の通知をもらった会社も面接のおりには、「副施設長にちかい事務長だ」などとずいぶん持ち上げられて落とされたので、ちっとも安堵感はない。それより、ケア人材バンクより主任ケアマネ(これは地域包括支援センターだ)の募集のメールが届いていて、年収が400万円だったので、落ちたらここ、受けようかしらなどとも考えている。どうもオレサマは年収400万円という壁を突破することが大変難しい人生を送るように神様に試練を与えられたらしい。いや、仕事を退職しなければ、ゆっくり昇給するもんなんですがねえ。(ホント、この事実を書いてしまうとじぶんという商品価値の低さに少々面食らってしまう。) 話はそれるが、金曜日のお偉いさんとの面談の中では、私がR社という人材コンサル系会社で広告制作をしていた時のことを尋ねてくれてちょっぴりうれしかった。また、社会に出てずっと社会福祉法人のベタな世界にいたわけじゃなくて、民間の厳しい風にもあたってきたことについても触れてくれて、(そうなの、オレの売りは両方の世界を知っていることなの)と再認識した。職務経歴書を追って、ストーリーを作っていくと、ずいぶん波乱万丈なんだよな。偉い面接官は、広告の世界から福祉の世界(特別養護老人ホームの寮父さん)へ移ったときのとこをフォーカスしてくれた。もう15年も前のことだけど、確かに、勇気のある、また周囲も「ええ!」と思う転職だった、あの時は。オレは偉い人に言った。「母の脳梗塞は、広告制作(コピーライターとして)の仕事はもう潮時だと踏ん切りをつけるよいきっかけになったと思っています。」とこんな意味のこと。 オレサマがおむつ交換をしたり入浴介助をしているうちに世の中はIT社会になっていった。私はそのような波とは無縁の場所にいたわけだが、もしも、あのまま広告にこだわって、たとえばバナー広告の会社なんかで勤めていたら、どんな職歴が展開されていたのだろう。まあ、人生に「もしも」はきりのない話だが。 あああ、じれったい。 仕事が決まるまでは情緒安定せず、英語の勉強も、社会福祉士の勉強も、なんもできないな。自宅にいるとTVドラマ『BONES』を借りてきて親父といっしょに観ることだけが楽しみだもん。Ipodnanoも壊れちゃったの。この修理についても考えるだけで嫌になる。 (以下、ブツブツ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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