なにもできないような日を過ごしている。今日は父が私に声をかけなかったので起床は9時になってしまった。不覚に思う。いつものように食パンを1枚食べ、紅茶を1杯のみ、テレビに目をやるがおもしろくない。YUKIEちゃんからスマートフォンにメールが来ていた。私が送ったメールの返信であることは、私の文章が載っていることで思い出した。彼女は、私があの会社の入社を断ったことは正しかったと述べていた。ゆっくり、いこうと。また彼女が、「ケアマネージャーとしてもやっていけるよ」と私がいったことが、うれしかったと書かれていた。また、おしゃべりをしましょうねと。YUKIEちゃんのメールアドレスはホットメールしかしらない。(なぜかYUKIEちゃんには電話番号を知るがかけないし、またケータイのメアドも聞かぬ)あいつはいつも、こちらが忘れたころに返信してくるな。メールチェックするのが、たまにだからだ。あの世代としてはめずらしく、メールをしない女である。そんなことを意味もなく考えて、私はすることもなく、焦燥感にさいなまれてビールを1缶飲んだ。ビールに依存するじぶんを感じた。アルコールに弱く、酒を飲む習慣がない私が、オヤジと同様な行いとしていることに少々の憎悪を思った。
どうやって1日をやり過ごすのかに苦心する私だが、昨日から『人間臨終図鑑』という山田風太郎の書物を楽しんでいる。古今東西の歴史的人物の最期について、たんたんとした筆致で書かれてあり、おもしろい。また若い年齢で死んだ者から順に書かれてある。夏目雅子(享年28)の次が吉田松陰(享年29)というシャッフル感が、けっきょく、人間はみな同じであることを編集で示している。厭世という気持ちにさいなまれているじぶんが他人の死を見つめるという行為が、なぜか和みをあたえるようである。うつ病の症状として希死年慮があるが、山田風太郎の書はやんわりとそれをうちやってくれる。
午後は、GYAOの『鳥居みゆきの社交辞令でハイタッチ』という番組を2つ観た。(1つ1時間)やっぱり、この子はおもしろい。昨夜の衝撃をまだ引きずっている私なのである。飛石連休の藤井という男が司会を進行するが、からみを無視して突然ぜんぜん関係ない話題に飛んだり、藤井があわせてその話題にすると、またもとの話題に話を戻したりという予定調和を無視する芸風が痛快だ。何をするかわからないという人格は他人を引き付けるものだ。ネット上では今年かぎりで引退するとか、ソースのはっきりしない噂が載っているが、鳥居には青木さやかのように、結局まとまったオールマイティーなタレントさんにはなってほしくない。いつ死ぬかわからないような人物はロックである。
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