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カテゴリ:対処案
さて、ここで問題です。
問い: 「お金で愛が買えるか?」 答え; 「買える」 問い; 「お金で命が買えるか?」 答え; 「買える」 問い; 「お金で時間が買えるか?」 答え; 「買える」 「そんなことないよ~」と、怒る善男善女の皆さまのお顔が目にみえるようでございます。 が、これはすべて事実なんですよ。 正確には、「お金で買えない 愛、命、時間もある」というのが正しいでしょう。 「そんなことはない!」と言い切る人もいますが、容姿がそっくりで、性格もそっくりの異性が二人いて、そこそこ貯金もあり年収も高い人と、貯金ゼロ、時給900円のアルバイターで、サラ金から多重債務をしている人から求愛されたとします。 どちらを選びますか? おそらく、圧倒的多数の人は、お金を持っている人でありましょう。 「お金で命は買えない」と言う人は、子どもの心臓移植のために寄付金を集めている親に向かって、そう言えますか? 人が、自分の時間を会社や仕事に使うのは、お金を得るためである比重は大きいでしょう。 社長が「仕事はお金のためにやるんじゃないんだ。世のため人のため、自分の生きがいのためなんだから、全員最低賃金、祝日祭日返上、サービス残業で必死で働け!」 って言われて「その通り!」って奮起する人が何人いるんでしょうね? ここでひとつ面白い統計を。 国立社会保障・人口問題研究所は、06年9月22日、未婚の男女8734人から回答を得た「結婚と出産に関する全 国調査」(05年6月)の結果をまとめました。 「いずれ結婚するつもり」という女性の割合が90%、男性87%と言う結果。 そのうち、男性の場合、自営業者の60.5%、正社員の56.3%は「1年以内に結婚したい」と答えたものの、 パート、アルバイトの人は29.5%にとどまったというんですな。 この数値は何を表しているか? お金の問題です。 そもそも結婚なることをしようとすると、準備期間も含めて総費用はいくらくらいかかるか? ざっと700~800万円もかかっちゃう。 当然、収入の低いフリーター・ニートは結婚に手が出ないということになってきます。 「愛があればそれでいいの」 と、いうカップルは問題なし。 でもほとんどの人は、考えちゃうよね。 じゃあ式は、簡略化するとして、その後の生活はどうするの? 子どもが生まれたら、その面倒や教育費は? 世間では、『ニート問題』を働かない・やる気のない若者の問題だと思っているけど、本質は、 “失業問題” “金銭問題” であったりするのですよ。 「やる気がでない」「人と会うのが怖い」というのは、個人的な問題かも知れないけれど、失業問題は、政治や社会の問題になりますね。 おっと、話しが少しズレた。 「無償の愛など存在しない」がテーマでした。 夫婦間、恋人同士が、仮に“愛の基本形”のひとつと定めるとします。 このカップルは、本当に“無償の愛”でつながれているのか? 誰でも「イエス」と答えたいと思うのですが、答えは「ノー」です。 そもそも「愛」というのは、もの凄くエゴイスティック(利己的)なものなんです。 人が人を愛するということは、相手から何らかの“報酬”を得たいということなんですよ。 “報酬”とは何か? 「ぼくがあなたを愛するから、あなたもぼくを愛してください」というのも報酬のひとつです。 なんと我がまま、エゴイスティック、利己的。 「もっとぼくを見てください、その代わりにバラの花束をプレゼントしますから」 「わたしを愛してくれたら、キスまでは許すわよ」 「一生を保障してくれたら抱いてもいいわよ」 やっぱり利己的だなあ。(笑) このように「無報酬の愛」などというのは存在しないのです。 親子愛でもしかり。 親が子どもを育てる最大の報酬は、生命(遺伝子)の継承。 子どもが親を愛するのは、親に愛されないと、生活力のない子どもは、たちまち死んでしまうからです。 つまり自分を養育してもらうという報酬ため、子どもは可愛らしく笑い、ときとして利己的にふるまうのです。 「そんなことはない、そんなことはない」と、顔ぶんぶん振っている人が目に見えるようです。 わたし感じた限りでは、『不登校・ひきこもり・ニート』に関係する人の多くが、 「愛はお金で買えない。命はお金で買えない。時間はお金で買えない。愛は無償」教信者であるように思えます。 だからこんなことを書いていると、もう講演とかに呼んでもらえないかも知れない。(笑) でも言っちゃう。 「愛は有償である」 「愛は無償」教の呪文には次のようなものがあります。 「アナタノタメナノヨ」 「わたしがこんなことをしたり言ったりするのは、あなたのためなのよ」という意味らしいのですが、それはちょっと違う。 本当のところは 「わたしのためなのよ」 ではありませんか? 「愛は無償」教では、すべて「アナタノタメ」ということにしておいて、その実態は 「わたしがこんなに苦しいのは、あなたのせいなのよ」 と、主張しているように感じることさえあります。 もっと素直になってもいいんじゃないでしょうか? 自分を愛せない人は、他人を愛せません。 愛は利己的であるからこそ、利他的になり得るのです。 まず自分を愛する。 利己的な自分を認める。 自分の楽しい・心地よいを追及する。 楽しい・心地よいを追求する過程において、苦しい・嫌なことも多少はガマンする。 そして現実的な落しどころを見つける。 いい人生って、そんなものなんじゃないかと思ったりもします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年05月11日 01時38分50秒
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