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テーマ:不登校・ひきこもり・ニート(8)
カテゴリ:対処案
SEXの方法のひとつに”SMプレイ”ってのがあるじゃないですか。
いわゆるサドとマゾ。 縛ったり、叩いたりして喜んでいるのがサド、サディストで、縛られたり、叩かれたりして喜んでいるのがマゾ、マゾフィスト。 で、世間一般では、SMっていうのは、”変態”なんて言われているけど、これが夫婦、恋人同士で、お互い了解の元で、あるいは望み望まれして、やっているとしたら、まったく何の問題もないんです。 コミュニケーションの方法を、教える人の中には、 「自分がやって欲しいと思ったことを、人にやってあげなさい」 なんて言う人がいますけど、 これは間違い! 大間違い!! だって、 「ぼくは、縛られたり叩かれするのが、大好きだから彼女にも、やってあげよう」 とか 「ぼくはおしっこをかけられるとコーフンするから、彼女にもかけてあげよう!」 って言うのと同じなんですよ。(苦笑) また同様に、 「自分がやられてイヤだと思うことは、人にやってはいけない」 なんていうのも、 そうとは限らない! 人には、好き嫌いや、選り好みってヤツがあるでしょ。 いくら、自分が縛ったり、叩くのがのが好きでも、他の人がそうとは限らないんです。 つまりね、何が言いたいかと言うと、 自分と他人は、違うっていうこと。 嗜好が合う者同士が、お互いに楽しむ分にはいいけど、例え、親子、夫婦、恋人、友人と言えども、押し付けちゃうのはよろしくないんです。 SMなんてそういった意味では、”究極”であって、嗜好の合う者以外でやりあうと、まさしく”犯罪”とか、”変態”になっちゃう。 人に、自分の嗜好、志向、思考を押し付けるのは、いかがなものかと思ったりしますね。 これは、SEXだけじゃなくて、食べ物、宗教、習慣、趣味なんかすべてそうです。 コミュニケーションというのは、自分と他人との関係なんです。 自分だけでもないし 他人だけでもない。 その中間のうまい落としどころが大切なんですよ。 友人に、SMにくわしい人がいましてね。その人がいうには SMというのは サービスのS 満足のM と、いうことらしいんですよ。 つまり、需要と供給が合っているということなんでしょうね。(笑) これが合っていれば、まったく問題ないとも言えます。 昔、知り合い女性で、SMクラブで、”女王様”を職業にしている人がいたんですけど、その”女王様”が、言うんです。 「オグラ先生、ぜひお店に遊びに来てください。 先生なら、凄くサービスしますよ」 で、思わず聞き返しました。 「で、一体そういったサービスをしてくれるんですか?」 「はい、ペニスにいっぱい針を刺したりしてさしあげます」 ヒイィイ~! ごめんなさい。 そういった嗜好はわたしには、ないのでサービスはいらないです。 コミュニケーションとか、サービスっていうのは、一方通行じゃいけないって言うことですね。 人とは、ちゃんと正しい距離をとって、お互いに思いやりながら生きていくということです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年07月08日 11時24分37秒
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