実はここ10日ほど
またしてもロコさんのドライフード嫌いが始まり苦悩していた
どーもOHANAマスターですが
今朝ほど先日間違って買ったレトルトパウチを
軽くレンジでチン♪してドライフードと混ぜてみたらば・・・
犬食い復活!(  ̄▽ ̄)qガッツ!
今度はいつまでもつかな・・・(;-o-)ボソッ
さてさて。
またまたスラックキーギターのお話し。
今日のはちょいと長そうなんで
スルーされる方は今の内に(笑)
先日スラックキーギターの起源について
ちょいとお話ししましたが
実はこのスラックキーギター。
半世紀ほど前まで。
ほとんど知られていませんでした。
それは何故かというと
スラックキーを弾く人は
それぞれが自分のチューニングを持っていた
という話しをしましたが
彼らはそのチューニングや弾き方を
決して他人に教えなかったのです。
教えなかったどころか
人前で演奏することすら嫌い
例え人前で演奏しても
聴いてる人に背を向けて
手許を見せなかったり・・・
その理由はMAKANAいわく
ハワイアン達は
土地も言語も白人に奪われ
最後に残った自分達のアイデンティティー
スラックキーギターだけは奪われないように
その方法を隠し続けたんだ。
と。
しかし彼はそのあと続けて
でもそんなことを続けていたら
この素晴らしいギターの音色は
永遠に闇に葬られてしまうよ。
だから僕は多くの人に
僕のギターを聴いてもらいたいんだ。
とも。
( T▽T)qアンタはエライ!!
ちなみにこれは
彼が18歳のときのインタビューで答えていたもの。
シッカリした若者だな~( ̄ヘ ̄;)ウーン
まぁそんなスラックキーギターも
ギャビー・パヒヌイという人の出現で
日の目を見ることとなりまして。
1970年代のハワイ。
折りしも「ハワイアン・ルネッサンス」と呼ばれる
ハワイアンとしてのアイデンティティー・文化を見直そう
という風潮が盛り上がり始めた頃。
まるでブルースのような
土臭いギャビーの歌声とスラックキーギターによる
トラッドなハワイ音楽に
当時の若者達は
「ハワイアンかっこよくない?」
と惹きつけられたそうな。
さらにそのあとに続く
今やハワイアンミュージック界の大御所
ブラザース・カジメロとピーター・ムーンが組んだ
「サンデイ・マノア」
さらにマジンガーZ・・・じゃなくて
伝説のハワイアンシンガーIZと現マカハサンズによる
「マカハサンズ・オブ・ニイハウ」
といったバンドの出現により
トラッドなハワイ音楽と
フォークやロックが結びつき
ハワイ音楽は息を吹き返し今に至るわけなのです。
そんなわけで
スラックキーギターとハワイ音楽に
新しい道を開いた
ギャビー・パヒヌイとピーター・ムーンのセッション
これを見て鳥肌立ってしまった
どーもOHANAマスターですが
ちなみにこのピーター・ムーンを日本に紹介したのが
「ホノカアボーイ」に出てきます
ハワイ島ホノカア在住の日本人ニック加藤さん。
そしてさらに
鳥肌どころか涙が出そうになってしまったのが・・・
ギャビーの息子シリル・パヒヌイと
ピーター・ムーンの息子ピーター・ムーンJrのセッション!!
ギャビーの18番ヒイラヴェ
さらにこちら↓
ケアリー・レイシェルのCDで
この曲聴いたことある方いると思います
ピーター・ムーンの傑作スウィート・メモリー&エ・ピリ・マイ
父親達の作った新しいハワイの音楽を
息子達が伝統として受け継いでる姿に感動している
どーもOHANAマスターです{{(;▽;)}}ふるふる・・・
いやぁ!
そんなまたまたマニアックな話でした!
ハワイ音楽の素晴らしさを改めて知った
どーもOHANAマスターに
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