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2024年09月20日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
石岡市に盛大なお祭りがあることを知ったのはたぶん中学1年生。
音楽の教科書に付録のようについてきた小冊子に石岡の獅子舞に関する譜面があって付随して祭礼の紹介記事があったからだと思う。

観てみたかった。
しかし中学1年生の時点では見に行くことを母や兄から反対されて実現しなかった。
理由は凄い人混みだから危険だと言われた。

中学2年、サイクリングを趣味としていた同級生と話していた時に自転車で行こうと提案された。
母や兄に反対されないよう内緒で秋の田舎道をペダルを踏んで向かった。
確かにすごい人混みだった。
それは土浦の七夕祭り(当時)よりも多かった。
短時間であったけど垣間見ることができた。

中学3年。録音機材とカメラを持って一人で訪れた。
囃子を録音して好きなだけシャッターを切った。
昭和49年。今でも残る写真には年番が国分町であった。
のちに国分町の山車が出身町土浦大和町で山車の借り出しをしていた事実を知って驚愕した。
その際の大和町地区長が祖父であったことも感慨深いものであった。

高校1年は何やら学校行事のせいで最終日の夜に短時間しか見ることが出来なかった。
高校2年、友人数人と徒党を組んで訪れた。
当時あったアーケードの上に上がらせてもらい写真を撮った。

高校3年、この年大和町で石岡若松囃子を招聘した。
その縁で若松町に一日付いて歩いた。

大学1年の時は多分行ってない。
その時期、関西に一人旅していた。

大学2年、3年、4年と都内のお祭りがダブっていて行くことはなかった。

社会人になっからも数回だけ訪れた。
妻の友人が石岡人であったので妻とは数回行った記憶がある。

商売で石岡人にメンが知れてしまった。
うっかり訪れると覚えない方々から挨拶されてお酒に誘われるようになっていかなくなった。
いい時代で出向かなくても映像が手に入る。
それに都内祭礼の疲れから石岡の街中を歩き回る体力も残っていない。

それでも祭礼文化の影響を色濃く体内に染み込ませてもらった石岡のおまつり。
茨城県内でも一、二位と誇れる祭礼行事だ。
国指定文化財、ひいてはユネスコ文化遺産に一日も早く選定されるといい。
切に願っている。





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最終更新日  2024年09月24日 11時41分11秒
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