|
カテゴリ:喜怒哀楽なんでもかんでも
春の法要が行われた。
我が家は年寄りがいないので旦那か私がお参りをする。 旦那が自治会の総会だったので私が参拝。 お寺の報恩講というのはお寺の行事で一番の目玉(大事)らしい。 本山から説教師が派遣され、約1時間ありがたい(?)お話を聴く。 弥陀智願の広海に(みだちがんのこうかいに) 智願=本願=ありのまま 凡夫善悪の心水も(ぼんぶぜんあくのしんすいも) 凡夫=智慧のはたらきに照らされて気づかされてくる自身の姿 善悪=自分の都合 帰入しぬればすなわちに(きにゅうすればすなわちに) 帰入=弥陀の本願を心から信じ従う 大悲心とぞ転ずなる(だいひしんとぞてんずなる) 大悲心=衆生の苦しみを救おうとする阿弥陀仏の広大な慈悲の心 ・・・親鸞聖人<正像末和讃> ・現代語訳・ いかなる川の水も海に入ればすべて一味となるように、 小さくかたくなな人間の善悪の心も、 広やかな阿弥陀仏の智慧の本願の世界に帰入すれば、 仏の大悲心の中にと点ぜられてゆくのです。 仏教には全く興味がなく、ただただ日常業務(お寺の行事)としてこなすだけの私。 果たしてこれがありがたいのか、ありがたくないのかもわからない。 あの世に逝ってから救ってもらうより、今、現在を救ってほしいんですけど。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.03.19 08:39:52
コメント(0) | コメントを書く |