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テーマ:政治について(20101)
カテゴリ:北方領土、北方四島
以前から欲しかった
復刻版の地図帳を、 最近買いました。 楽天のポイントが貯まっていたのでタダ! なおかつ、 近所のコンビニで受け取り! ほんの数日で、 手にすることが できました。 私が今回購入したのは、 ある出版社の “中学校社会科地図帳”の 昭和25年復刻版です。 昭和25年8月12日 文部省検定済 となっています。 これはつまり、 戦後の新制中学で、 生徒たちの 教材となったもの。 ちょうど、 福田総理と同年代の 現在70歳前後の方々が この地図帳で学んだのだろうと 思われます。 昭和25年といえば、 昭和20年に第二次世界大戦が終わって 5年・・・。 私は、 ある期待をしていました。 サンフランシスコ平和条約は 昭和26年。 この条約で日本は、 樺太も千島列島も 手離してしまうらしいですが、 それよりも前の年ならば、 それらすべてが みんな、 日本の地図として 描かれているのではないか、と 思っていたわけです。 ところが・・・ 購入した地図を 見たところ!!! 国後や水晶島(歯舞群島)の 手前の 赤い線は何??? これは、 他の地図では “国境” になっているのですが・・・ まさか、 “国境” では ないですよね!? だって、 その翌年、 千島列島を手離すということに なったとしても、 国後、択捉、歯舞、色丹は ずっと前から 日本固有の領土なのだから、 ここに“国境”があるのは おかしいんですよ! にもかかわらず、 “アジア主部”という ページの地図にも・・・ やっぱり おかしい!? 地図帳を作っていた出版社は いくつかあったと思いますが、 どの会社が作ったとしても、 地図帳を含む教科書はすべて、 文部省検定を 必ず通ってゆきました。 それならば、 地図は こういう描き方をしないと 検定を通らなかった ということに なります。 当時、 こんな 検定を 許したのは誰なんですか!? つまり、 この場所に “赤い線”を 引かせたのは 誰なんですか!? 当時の日本は GHQの支配下にありました。 何をするにも GHQに お伺いをたててでした。 “赤い線” を引かせたのは・・・ GHQ つまり、 アメリカなんですか? アメリカが “北方領土を手離せ!” という指示を したのですか? 昭和20年12月1日に すでに、 日本人たちは 北方領土の返還を求める陳情を マッカーサー元帥に しているのです。 それを、 アメリカは 知っていたんじゃないですか? やってらんねぇよ。 トップへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/05/01 12:56:56 PM
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