XとY、そしてZの章
XとY
男の子
父親は私が男の子であることを願って止まなかったということで、名前も男の子のの
み用意してあって女の子の名前がなかったらしい。
結局女の子用の名前は高額でもらったが、立派すぎるというので(なら普通のにして
くれればいいものを)その高くついた名前は使わずに別の名前で10歳すぎまで育っ
た。
よってその後と比べると二重人格とまではいかないが、私にはふたつの性格が共存し
ているようである。まるでベルギーの国みたいで、仏語圏とフラマン語圏が共存して
いるみたいである。しかし厳密にはドイツ語圏もあるので、そこは今の私で言えば欧
州仕込みの性格とでも言うのだろうか。もっともこれは、以前から眠っていたものが
表に出てきただけであって、私は昔から気だけはしっかりしていた。思ったことを
はっきり言う方だったし、自分はこうだと皆と違う意見を堂々と述べていた。それで
か、いつも群れとは距離を保っていた。
人と違うことが大事で、個性を持つことを信条にしてきたのである。
気が強いと言われても、それでなきゃひとりでやってけないと応える。実際そうでな
いと踏み潰されてしまうのである。
昔シシリア人の家主が私にぽろっと吐いたことばに、「この国では、そこいらでひと
りで死んでもそのままで誰も来てくれない。何かする時邪魔になるのでどこかへ退け
られる。つまりそれまで誰も来ない。そういうところなんですよ、フランスは…」と
いうのを今でも覚えている。結婚したてでシシリアから南仏に出て若い二人は一生懸
命差別と闘って働いたに違いない。やがて子供も生まれるが夫は病死、女手ひとつで
男の子ふたりを育てあげる。上の子には大学教育までいかせ、教師としてパリのほう
に、下の子だって気立てよく育つ。お金だけが頼りになる。お金を稼いでいればい
い。とそれこそ死ぬ思いで貯金したに違いない。
シシリア人はお金に細かいという人がいるが、それだけ苦労した彼女は、単なる守銭
奴でなく、本当にお金の値打ちを知っているのだ。
今彼女はおそらく孫たちに囲まれて自分の建てた家でコーヒーを淹れていることだろ
う。小さな幸せをしっかり守っているに違いない。
でもシシリアからの親戚がやってきているかもしれない。そしておしゃべりの話題は
限りないことだろう。
シシリアの太陽のような女性だった。
そして ついにアルファベットの最終章
ZERO
これで零だから、もとに戻る。
8月からはまた新しいサイクルが始まるのである。
このブログも非常に個性的になっているが、これから自由に続けていこうと思う。
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