ジャカルタ地震で逝かれた方々に哀悼の辞を捧げます。
このところ「とっておきの話」が続いて出ているが、ここに載せるのは、これで終わりである。(文章にしたのはこれが最初だと思う。もし以前に書いているとしたら、手紙の中である。。)あとは、そんなに出さずとっておくことにする。以前に一度もうひとつの「とっておき」があったと思うので、これで三つということできりがいいところで止める。しかし他のお話もあるので載せておく。。。(ジャカルタの地震での被害状況を聞いて思い出すのは、やはり1991年の日本の地震である。亡くなられた方、並びにご家族の方々を思うと胸がつまる。)想い出とは不思議なもので、忘れてしまったと思っていても、変な時に想い出してしまうことがある。それは、ふと目にした風景だったり、花の匂いだったり、耳にするリズムだったりする。その時、そのきっかけとともに当時の背景もよみがえるのである。子供の時のこと等を思い出すことがある。誰にも聞かなかった、写真でも写されていなかった記憶がよみがえることがある。それは楽しいこと、つらいこと、悲しいことかは選ることが出来ない。自分が望んでもいない記憶が復活してくることもあれば、完全に忘れていた素晴らしい出来事の記憶が戻ってくることがあるからである。しかし人間の記憶はあいまいであることが多い。特に昔住んでいた場所をよく思い出す場合があっても、実際にそこへ出かけると、別の場所のような気がするものである。記憶の場所は、その時点から変わらないで記憶に残る。ところが実際の場所は変化するからである。しかし記憶している本人の状況も変化するはずである。が、もし全く同じ状況であればどうだろう。つまり記憶の場所の変化が無い場合である。例えば旧東ベルリンでは、当時(壁があった頃)は国がふたつに分けられてからの孤立で、街の状態は殆ど何の変化もなくそのままの状態であった。今となってはちょっと信じられないであろうが、私はそれを1982年に確認してきたのである。華やかだった菩提樹ロードはシンと静まり、商店は一見して商いをしていないのではないかと思わせるくらいの静まりようであった。本屋といっても看板はなく、中を覗いてかろうじて本屋であるとわかるくらいであった。それに誰も歩いていない。ときたま、トラバントという車がガスをはきながら走りすぎるくらいであった。地下鉄の出口は塞がれており、犬の子一匹も見かけなかった。見たのは観光?のタワーの上で兵隊さんがレストランで食事をしているところであった。民間人は見なかった。共産国というのはこういうものか、私にとっては初めての体験であった。当時は貧乏学生だったので、東ベルリンのオペラに行けるような身分ではなく、ただ西側より安い辞書を買いに行っただけである。だから夜になれば、どこからともなく人間がパーティ用の格好をして出て来るのかもしれない。また他の旅行者もいるだろうし。。。よくはわからなかったが、通常は資本主義国の外国人には1日ヴィザしか発行してもらえなかった。 to be continued。。。