過去にとらわれるな。。
結局自分が生きていた証は何だろうかと。。誰かの思い出として、自分と旅行したことや、しゃべった言葉が残るだけなのかも。。虎は死して皮を残し、人は死して名を遺す。「名」とは名前だけでなく言葉です。語った言葉です。しかし、それを聞いた人によって解釈が違うために、多くは変更されて記憶に残されます。確かにこう聞いたのだと言っても、微妙に違うことがあります。潜在意識のどこかでそういう思い込みをインプットされているのです。言葉に限らず、イメージもしかりです。確かあの服の色は白だったと思うけど、というのはそういう風に記憶しているだけです。過去である当時の録画などがあれば本当にどうだったか判明しますが。。人によっての記憶にすぎないのです。しかも、それは常に勝手にアップデートされていきますので、現在に掘り起こした記憶は違ってくるのです。ここからちょっとわかりにくくなりますので以下はパスしてくださいね。つまり過去は現在引き出された記憶なのです。過去だけでは成立しません。未来も現在があるから予想したりできるのであって、未来だけは無いのです。すべては現在に再生しているのです。一人で存在するのは現在だけです。突き詰めると、現在も無いのと同じです。あるのは、あると思っている瞬間がそのままあるだけです。昔ラジオで聞いた宗教のお話、説法っていうのでしょうかね。。結構たくさんのお話を聞いてきましたが、たくさんの洋画を見たのと同じように、当時のオニオンはとにかくひっきりなしに落ちてくる滝の水を汲むように話を聞いていました。内容は忘れたようでも、どこかがどこかで残っていて、勝手にバックボーンで再生されているようです。映画にしても今見ますと、すっかり忘れているものが結構あります。ある一シーンがひっかかっていたものがあり、再度見ることにより確認しようと思いましたが、実際には全然引っかからなくなっていた自分がいました。そこに常に上書きされている現在を感じました。無常なんですね。。映画が変わったのでなく、オニオンが変わったのです。若い時というか、可能で元気のある時にやれることをやれるだけやっておくと、そうでない時に無常な暇つぶしができます。そんな昔でなくとも、数日前のことが思い出せなくなることもありますが、それでいいのです。無常なのですから。。くだらんことまで覚えていて、何が良いのですか。。必要なことは今ここにあります。