私が,私が。。
日本語には主語があってもあまり使いません。でも強調したい時は、(それは)私がやりました。となります。「お腹がすいた」、と言った人が空腹であり、「お腹空きましたか」と相手を前にして言う場合には「あなた」という主語はつけません。フランス語では必ず主語がつきます。動詞も主語に連なって変化します。動詞をみれば主語がわかるというものですが、それでも主語はつけますね。誰がやったかが大事なのであって、それが自分に都合のいいことなら主張して、そうでなければそっぽを向いてしまいます。責任社会なので簡単に認めないのです。自分がやった誉めてもらえることはくどいほど言いますが、そうでないと黙ってしまうというちょっと都合よすぎるんじゃないかというところです。ちなみにオニオン子供の頃、道徳の時間で桜の枝を切ったのは自分だと正直に言って大人を感心させたというアメリカ人の子供の話がありましたが、日本の小学校の授業にアメリカ人のことをのせて日本の児童に教えるなんてなんかおかしいとは思いました。今でも思います。嘘をついてはいけないという教えだったのでしょうけどね。。世界は大きく変わりましたしね。。インドも人口が増えてしまってますが、アフリカでは気候や戦争で生き延びることは容易い事では無いのですね。。中国のような一方的な政策をとらないとどうにもならないような気がしますが、そいうことはずっと昔から言われてきてましたね。私が考えることって、何になるんだろう。。でもそれは第一歩かも。。多くの私が集まれば全体が私になってすべてが私になっていく。。でしょうね。。