名前をつける。。
バベルの塔は神の怒りに触れた人間たちが、お互いにコミュニケートできないように、それまで一つしかなかった言葉を細分化したというお話です。しかし、それは定説であって、実際というか本当のところはどうかなんてわかりません。ブリューゲルが描いた塔やら他にも多くのバベルの塔が形になっているようで、それを物語っているとしたら、それはもちろんパラボル,つまり聖書のたとえ話です。名前は区別するため、そこから差別が生まれていくのですが、汚いバラもあるだろうに、バラと言えば良くて美しくなり、イバラになるとせっかくのイメージが低下するのですね。呼び名で決められるということ。そもそも「あぁ、いやだ」と言葉になる前に、その対象のいやなモノは存在してます。また、子供が生まれる前につけることもありますが、それは実現すればという仮定のもとで名前を決めているのですね。製品にしてもまずモノを作ってからネーミングを決めますね。苦しさも楽しさも、そう呼ぶから苦しくなったり楽しくなったりするのです。自分で決めないでいれば苦も楽もありません。また、モノ自体自分の脳が認知しないと存在しないとさえなれば、脳の機能があるからモノがあるのだと。。モノがあると思い込んでいるだけらしいですけどね。。不思議と感じますけど、名の前が名前なんですね。。