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カテゴリ:言葉の魔法
念仏と題目、真宗と日蓮宗では唱えているモノが違う。(←雑な表現ですが、ご了承ねがいます。)
キリスト教では、アーメンの前に祈りの決まり文句があるが、全世界で宗教によって唱えるモノが違う。 言葉が違うのだが、死そのものはひとつなのだったら、そこへの行き方が違うのか。。 また、その際の行先も違うのかという問題が発生してくる。 それはそちらに着いてからわかるのだろう。どこかの新宗教の人は、宗教の違いはどの地図かという違いであり、着くところは同じだと言ったのだが、よく知ってるものである。 異宗教の間では、天国や浄土と地獄、「天国に行けるのはうちの宗教だけじゃ」そして、多くの言語で「地獄に落ちろ」とある程度共通した呼び名の地獄があるようである。 さらに言えば、我々は「救われていない」というのが共通しているようである。つまり幸せではないというのである。だから本当の幸せを求めて止まないということである。 南無阿弥陀仏は阿弥陀仏の名によりというところで、南無妙法蓮華経は経典の名により救われる(た)である。 お盆に想うことはこんなことくらいか。。春に亡くなった知人のフェルディナンドはカトリック教徒だったが、仏教の盆には帰ってもこないということね。。もしかしたら初孫のところに寄ってるのかなぁ。。聖母マリアの昇天祭だからついでにってことも。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年08月14日 19時25分35秒
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