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カテゴリ:どうでもいいようなこと
人は他人の何らかで役に立ちたい、そして結果を確認したいという気持ちがあるのではないか。。
手伝うとか、世の為に何かするのは本来なら一方通行で、しっぱなしであるべきものなのだが、どうしても凡人は証拠のようなものを求めてしまう。 よく聞く話に、坂を荷車を引いて登っている人がいたとしよう。とても重いが一人なので仕方ない、一生懸命ひいていたら、急に軽くなって押されるように坂の上まで行ってしまった。きっと誰かが助けてくれたんだと、礼をするために荷車の後ろを見るが誰もいない。という定番のやつであるが、礼を言われるためにやってないよというところであろう。 しかしながら、仏教ではやってやったぞという慢心を取り上げる。 いずれにせよ、目の前に自分が出来ることがあればやればいいではないか。その時しか出来ないことがあるはずである。ボランティア活動も然りで、他人の為よりも自己満足の為にやってるのであろう。。今日はこれだけ良いことしたと布団の中でつぶやくのであろう。。 ちなみに「布施」も実は自分の為にやるものである。たくさんあるから分けるのではなく、少ない状況でもそれを与えることができるというところまでいくことで自らが救われるということ。だから、与えた人に文句言われて怒りもしないという修行のような。。あぁ、自分の役に立ちたい。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年08月19日 00時00分11秒
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