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カテゴリ:しあわせ
何度も繰り返しこのテーマが。。カテゴリにも設けてみたものの、いったい何だろうって。。
幸せで無いモノがあるとしたら、それが不幸とか呼ばれて幸せの反対になります。 つまり対のどちらかになるのです。よってもしその対の関係が元から無ければ、幸せしかないという事です。 ブラブラ。。 絶対的な概念なんでしょうが、難しいですね。簡単なことほど説明するのが出来ない。言葉でどんなにやってもダメなんですね。だって出来ないモノをやろうとしてるからでしょう。。 さて、大乗仏教のように、凡人つまり衆生、一般の人、我々覚ってない者は、ガイコク語でエゴがあると言います。エゴの塊、煩悩の塊、エネルギー・プロテイン・チョコボールみたいなもの。。 このエゴがあるから生きているとか、嬉しいとか、苦しいとかになります。つまりエゴが無ければどうにもならないので、受け入れてうまく生きながらえましょうということ。←シアワセ 大衆救済の大幡を掲げなくても、あなた、わたしが幸せになればそれで充分だということです。これは悪い意味でのエゴではなく、私そのもの。フランスのデカルトが言ったとされる「われ想う、ゆえにわれあり」の我にあたるでしょう。これも哲学書のカタログのインデックス(見出し)のように扱われてますが、この言葉だけをいくら読んでも暗記しても意味無いです。鵜呑みは禁物ということ マッサージする人が疲れた状態だと、されたほうも余計疲れるというか、そんな人のところには行きませんよね。。他人、知らない人だけでなく、世界中の人や生きとし生けるあらゆるものを救いたかったら、まず己を救えという事。己を磨けという事です。 それが周りを救うことになっていくとね。。ということですわ ちなみに自分を救っていくことが、他のモノを救うことにつながるし、その逆も然りです。どっちでも同じなのですね、結果は。。 ちょっと内容がマニアックになってます。年末なのでいろいろと想うことありますからね。。でも一緒に考えてくれてる人に感謝します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年12月10日 22時46分18秒
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