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カテゴリ:つきあい
うまく言えないのですが、最近、少数派に合わせるのか否かということを考えています。別に合わせなくても、マイノリティーが生活しやすいようにすべきとか。。ドラフトから起こしてみました。
1. 100人の中一人だけ女性で99人が男性であっても、トイレは女性用がないといけないのか。。 (中性の問題は横においといて) 2. 100人がほぼ皆満足しているのに、一人だけ嫌だと叫ぶ人がいる。空気が読めないとなる。 3. 菜食主義者の中にひとりの肉食、その一人の為に肉も用意するか。。 どれも比較にならないテーマですが、トイレのことは、男女分けなくても誰でも使えるモノを設ければいいだけです。 皆が気持ちよく聞いている音楽がうるさいとクレームする人がいるのなら、その人がそこから去ればいいことです。他の人が我慢することは無いと思います。 飛行機の機内食でさえ、宗教系の特別の理由で特別メニューを用意しているところがあります。可能な限り無理に肉は食べなくてもいいかも。。食べることが禁止されてる人は、各自で用意しておくことですみます。 近代社会ではとにかくマイノリティーに合わせる傾向ですが、弱いから守られなきゃいけない、強いから弱いモノを守らなければいけないくらいならわからないことはないけど、そうやらなければならないからやってるだけということも。。義理とか、義務とか。。 弱いように見えても、実は狡猾に振舞ってることもある。また強がりで強く見えるだけで芯は弱いのかも知れないでしょ。。男に見えても女もいる。目立ちたいから叫んだということもある。隠れて肉を食べてる菜食者だっているでしょう。。 うわべのことだけで社会が動いているということ忘れてはならないと思います。 実際に高齢者や体の動きが不自由な人達に対しての措置として、バリアーフリーの態勢を設けることは大切でしょう。これから高齢者だらけになっていくからです。 しかしながら、年食ってるからと言って特別扱いにしていいものか、障碍者だから気を付けろといって結局差別してるわけでしょ。。義務感から弱い人をケアーすることが果たしてやるべきことなのか、ということです。 今はまだ金銭で多くのことが可能になりますから、年金や手当をもらえば生活が楽になる人もいます。支給されなければ生活できないこともあります。でも不要な人も少数でもいるのに皆に支給されてるのではありませんか。。何のための支払いなのか。。手当支給に反対してるのではありません。 もっと住民の心のことを見て育む社会になって欲しい。。高齢者を見捨てない社会になって欲しいです。 おまけ、笑い話ですが、アフリカのセネガルの真ん中でふと白人のフランス人のジャックが「おや、黒人が嫌に多いなぁ。。」って言ったのですね。自分がセネガルに来たこと忘れてたからですが、もし彼がその地に50年住んでいても彼は白人のままです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年06月27日 00時30分11秒
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