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カテゴリ:愛
大文字の愛、つまり絶対の「愛」、見返りがなくて一方通行の愛はタダです。
もし「命」と言うなら、それも与えられてるということでタダです。 でもタダとか表現すると、安物にとられてしまいがちですね。。 (独占欲から来る)愛は相対的、つまりあるかないかという観念からの愛になるのですが、絶対的な↑で述べた「愛」とは違うのですね。。 我々が出来ることはこれらを言葉で表すだけなのですけど、それも無理なんですね。。言葉でわかるもの:「言葉で理解できる範囲」は限られている、つまり有限だということです。なんだけど、無限というパラドックス。。 ここまで書いても言葉の使い方次第で、単に「タダ」ということが複雑になりました。 頭で理解することは、言葉に落とすことですが、複雑化して脳みそが詰まってくる感じ。。 そして心や体で感じることは非言語化の「愛」を理解することになるぅ。。それを無理に言葉にしようとしなくていいのです。言葉がなくても、全ての現象があるからです。言葉は一種の手段にすぎないのですね。芸術や演劇とかでは言葉の域を超えたモノがありますでしょ。。音楽も然りですが、鳥のさえずりも音楽なのです。それこそタダなのです。山や公園が無くて聞こえないという人は、そこに出かければいいだけです。 たまに、そこに行くのに料金がかかると言い出す人いますが、所詮何を言っても無い無いと続けるだけです。言ったら言っただけ返してくるのですね。だってタダだから。。 気温が一桁から二桁に上がってくれてほっとする間もなく、日ごとに変化するベルギーの空、毎日見事な雲の姿を無料でただ見るだけのオニオンは、どんな空でも気にしないです。何でも感謝、この言葉は本当に奥が深いですが、確かにただ感謝を積み重ねていくだけですね。。 ときに、昔無料の事を「ろは」と言いましたけど、あれは「只」から来てます。そしてずっと経ってロハスと聞いた時、タダの家かと お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年09月15日 18時20分07秒
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