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カテゴリ:亡国のイージス
「おまえとわたしは同類だ。兵士として優れた資質を持ちながら、腐った国に生まれ育ったために苦しんできた。環境の被害者というやつさ。だったら、苦しまずに済む環境を自分たちで作ればいい。能力を正当に評価される社会。有能が無能に食いつぶされることのない世界の創造だ。力の本質を知る我々兵士にはそれができる。」(文庫本下巻75ページ) これがとらわれた如月行にヨンファが言ったセリフだが、それに対して行は、 「そんな幼稚でバカげた誇大妄想のために、兵長や菊政を殺したのか? 大勢の乗客たちを巻き添えに旅客機を爆破したのか?」(文庫本下巻76ページ) という思いを抱くのだが。。。 自分や、周りを見渡すと、多かれ少なかれヨンファのような発想になっている人が多いように感じてしまう。 みんな、自分の能力が高いと信じ、それを活かせないのを 「環境のせい」 「上司のせい」 「部下のせい」 「指導者のせい」 「時代のせい」 「社会のせい」 など、理由をつけて逃げる。 逃げるだけならまだいいが、逆切れして誰かを傷つける。 「能力が正当に評価される社会」 これは多分幻想だろう。 なぜなら、 例えば、戦時なら武力は重要な能力だが、平時なら無用の長物。 その時その時で、必要なもの、不要なものが違い、能力の評価も分かれて当たり前。 今は「経済至上主義」。 経済力というか金勘定が上手な人、だましのテクニック(良い意味でも悪い意味でも)を持つ人、能力が珍重されているようだが、このまま「経済至上主義」「資本主義一辺倒」の社会が続くとはとても思えない。そうであってもならないと思うし。 価値観は多様だ。 これからもいろいろな「価値観」が生まれては消えるのだろうか。 能力を正当に評価される社会? そんなものは存在しないのではなかろうか。。。 そういう社会になるとすれば、もっと人類が進化して、すべての価値観を正しく「神」のごとく判断できる能力がそなわるということ。 すべてのことを「良心」を基準に判断できる社会になること。 「良心」しかない人だけのまさにパラダイス。 そうであれば、紛争・戦争なんて起こらない社会が先にくる。 そうであって欲しいと願うものの、私自身、心の中が「良心」だけになるとはとても思えず。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年07月07日 20時26分50秒
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