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カテゴリ:亡国のイージス
「公僕たる者が、仕えるべき国民をないがしろにして、自分たちの組織の論理だけを振りかざす。その方がよほど無礼だとは考えないのですか」(文庫本下巻197ページ)
こんな事をいい、実行する議員、官僚ばかりならどれだけ日本が良くなることか。。。 「公僕」という考え方が表に出てきたのは日本の歴史の中では最近のことだろう。 明治維新以来、政治家、役人は幕府のかわりとして権力を振るってきたもので、「お上」という言葉の通り、国民が下なのだ。 長野の田中知事はよく「公僕」という言葉を使うが、国であれ、地方であれ、議員も役人も、自分を公僕などと思っていないだろう。 そうありたいと理想に燃えている人もいるかもしれないが。。。 自民党は自民党の組織の理論、民主党は民主党の組織の理論、官僚は自分が所属する省庁組織の理論で物事を考える。 地方議会もこの縮図だろう。 「日本再生にはどういう手当が必要か?」 「わが都市の振興にはどういう手当が必要か?」 という発想ではなく、 「どうすれば自分の組織を潤わすことができるか?そのためにはどう国民、市民を欺けばいいのか?」 と考えているようにすら見えてしまう。 予算の使い切りなんてのはまさにそれだろう。 私は政治家や官僚や警察官などが「公僕」と思いたくもない。 確かに税金によって養われていると考えれば「公僕」という考え方になるのだろうが、国や自治体の運営は誰でもできることではないし、運営してくれている人がいるからこそ国民が安心して暮らせるからだ。 どちらが上とか下とかではなく、お互いを尊重し合った同格であるべきだと思っている。 どうしても上下関係を作りたがるのは日本人の特性なのだろうか? 他の国でも同じなのだろうか? 何にせよ、理想を語っても始まらないか。 現実問題として今のままで「公僕」という意識が彼らに生まれることはないだろう。 残念ながら今の彼らは税金搾取集団で国民の敵だ。 それを見て見ぬふりをするのはやめよう。 彼らを味方にするように、まずは国民一人一人が努力しよう。 そのためには、選挙には必ず参加しよう。 それがどんなに小さい選挙でも。 敵を落選させ、少しでも味方になりそうな人を選ぼう。 1票の積み重ねでしか変えられない。 票が少なければそれだけ組織票を持つ悪人のために国や地方が運営される。 あきらめずに闘おう。 あきらめたら負けだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年07月21日 00時21分20秒
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