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カテゴリ:亡国のイージス
「それが正義と信じられるものであっても、拳を振り上げた結果は相手に徹底抗戦の意志を喚起し、復讐は新たな怨念を生んでゆく。最初からわかっていたことだ。それでも、そうせざるにはいられなかったから、自分は事を起こした。途中で投げ出すつもりはないし、クルーの安全を守る艦長の義務を放棄するわけにもいかない。そう自分に言い聞かせた宮津は、最後にもう一度ソナー・ディスプレイを見つめた。」(文庫本下巻273ページ)
宮津の起こした行為は正義でもなんでもないだろう。 しかし、それを正義と信じてしまう。 そして、その「正義」により振り上げられた拳は無数の罪のない人を殺し、殺された側に新たな「正義」を生む。 アフガンやイラクを攻めたアメリカを彷彿とさせる。 アメリカはアメリカの正義を振りかざし、テロはテロの正義を振りかざす。 そして、被害を受けるのは無数の何の罪もない人々。。。 それでも自分たちが起こしたことを正当化するためには、相手を根絶させるために止めるわけには行かないのだろうか。。。 そこには本当の「正義」があるのだろうか??? イラク戦争で、アメリカとイギリスがイラクを攻めた理由は「大量破壊兵器の所持とそれをいつでも使える環境を整えているのに、国連の査察を拒み続けた」というでっち上げの理由だった。 しかし、その間違って戦争を仕掛けた国が、新生イラク統治、民主化の主導権を持っていることは異常ではなかろうか??? 米英は自分たちの非を認め、撤退し、賠償するのがまず先決だと考えてしまうのは私だけなのだろうか? あの戦争の過ちを、国際法に照らし合わせて裁きを受けることが先なのではないだろうか? それをやりつつ国連主導で、民主化にこだわらないイラク人のイラク人によるイラク人のための統治をすすめることこそ「正義」だと考えている。 人間なのだから間違ってしまうことは仕方がないと思う。(あれだけ多くのアフガン市民、イラク市民を殺し、虐待しているアメリカのやり方には「仕方ない」ではすまされないものも感じるが。。。) しかし、間違いは正せない人、国に「正義」を語る資格はないのではなかろうか??? そして、間違いを認め、謝罪すべきは謝罪してこそ、テロリスト(と呼ばれている人達)に、行動を起こさせる動機を除く手段の一つになると考えるのは私だけだろうか? 暴力を伴う正義はあってはいけない。 これはだれでも思う理想だろう。 しかし、実現できない理想ではないと信じたい。 「武力無くして国の自立はない」と評論家のようにいう一般市民に言いたい。 戦争で被害を受けるのはだれでもない、あなたですよ。 戦争を起こす張本人たちは、安全なところで殺し合いをのんびり高みの見物しているのですよ。 ブッシュ大統領や小泉首相のように薄ら笑いを浮かべて。。。 そんな人達のためにあなたは殺されるのですよ。 それが国を守るためとだまされて。 「じゃあ攻められたらどうするんだ!」 というなら、 「なぜ攻められるのですか?」 と問いたい。 万一攻め滅ぼされたとして、丸腰の国を攻め滅ぼした国が、国際社会に受け入れられると思いますか? そんな無茶をしてまで、日本を武力で攻め滅ぼそうという国があるでしょうか? 食料もない、エネルギーもない、あるのは巨額の財政赤字だけ。 こんな国をなんで武力で攻め滅ぼすのですか? 日本を滅ぼしたいなら、食料とエネルギーの供給を止めるだけで済むのに。。。 日本の安全保障は、食料自給率の回復と、他国に依存しない新エネルギーの開発がまず先にこなければ。。。 それを無視して軍事力・兵力云々する人は、兵法の「へ」の時も知らない人ではなかろうか? もっとも、攻める側が兵法を知らないとすると可能性はありますが。。。 ちょっと脱線しすぎたか? いずれにしても、暴力による一方的な「正義」の押しつけは、暴力の応酬を生むだけではなかろうか? 「正義」と言う名の憎しみ・復讐・恨みの連鎖は避けたいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年07月25日 23時13分36秒
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