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テーマ:ひとり言・・?(17621)
カテゴリ:政治
耐震強度偽装事件がらみで性善説だ性悪説だいうコメンテーターがごろごろ出てきましたが、、、
法治主義とは本来性悪説(韓非子)に基づいています。 法は性悪説に基づいて作られなければならないモノです。 法治国家とは性悪説を基本とした法によって治められる国なはずです。 個人はそういう主義をとろうが、法治国家として法を定める上では性悪説に基づいて法を定めなければならないはずです。 コメンテーターが性善説だ性悪説だ言っているのはほとんどがピントはずれと感じてなりません。 しかし、絶対にそう(性悪説に基づいた厳格な法治主義)はならないような気もしています。 なぜなら、一番性悪なのは国の管理人(政治家や高級官僚)だと思うからです。 きっと彼らには性悪説は困るんです。 これをまともに運用すると、馬謖のように斬られてしまうから。 馬謖を斬った諸葛公明は、任命責任から自分も身分を返上しました。 (三国志のお話です。) それくらい厳格な法治主義をとることは、現在の政治家には求められないのでしょうね。 これでいくと、小泉首相は何回任命責任を問われているはずでしょう? 今の内閣、党幹部には本来二度と大臣や党幹部にしてはいけないような人までごろごろいるような気もしますし。。。 なぜ法が必要なのか? 本来一番厳格に法が適用されるべきは? 「作る側の人が自分たちには絶対に適用されないように作られた法で治められている国家」 というのが法治国家日本の現状なのかなぁと。。。 「真の民主主義を実現した国家はない」 とは良く聴きますが、 「真の法治主義を実現した国家」 というのもないのかも? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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