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テーマ:愛犬のいる生活(77288)
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昨年9月6日のエディ。 まだこうして自分で”伏せ”することが出来たんですね。 老いていくスピードは、切ないほど速すぎます。 エディが逝ってから昨日で1週間が経ちました。 辛く、悲しい気持ちとは、波のように寄せては返すものなのですね。 この春から次女が年少さんになって、少し余裕が出たのをきっかけに 幼稚園のママさん合唱団に入部しました。 先週の水曜日、迷って、でも「行って大きい声だしてこよう!」と 無理やり自分で自分を引っ張るようにして出かけたのですが、 楽しかった。 休憩時間もいつものメンバーでお喋り。 「よし!こうやって立ち直っていかなくちゃいけない」 結構、気分良く帰ったんです。 ところが体が重い。 ここのところの気候のせいもあるのでしょうが そのうち気分もふさぎ出して・・・ 「そうか。悲しみってしばらくこうやってお付き合いするものなんだね」 と、考えを変えることにしました。 先週は子ども達のイベントが盛りだくさんで 気になっていた仏前に手を合わせ、 今後のエディの幸せをお願いしにいくことが まだ出来ていなかったんです。 ちょうど1週間前の12:15。 このタイミングで近所の氏神様のところへ行き ようやく手を合わせる事が出来ました。 供養の仕方、全く知らないんです。 とりあえずエディの写真を持参し、お賽銭をいつもより多めに。 「エディが苦しみから解かれ、緑あふれる素敵なところでプリンと再会していますように」 「また、エディに逢えますように」 健ちゃんがエディと出会ったのはエディが8歳のとき。 口癖は「エディが赤ちゃんの時からいっしょにいたかったなぁ」 私の”連れ子”、エディを、心から愛し、いっしょになって 育ててくれました。この悲しみも二人なら乗り越えられます。 おじいちゃんっ子だった、健ちゃん。 「おじいちゃんが亡くなったときより泣いちゃった!」と、 笑ったのが印象的でした・・・ ペットロスで苦しんでおられる方がいらしたら、 是非、おすすめしたい本があります。 エディの安楽死を決めた時、救いの手が欲しくて調べていて 偶然出会う事が出来ました。 ぎざぎざに傷ついたこころのまさに処方箋。 そんなに自分を痛めなくていいんだ、『こんな自分』なんて言っちゃいけないんだ 私はペットにとてつもなく愛されていたんだ、と自信がもてる そんな1冊です。 ちなみにプリンの死別の時にはこの本にずいぶん助けてもらいました。 ペットと会話が出来るローレン・マッコールさん著の本です。 ”旅立ってしまったペット達に訊きたい5のこと”と副題がついていますが 私もエディとプリンと、こうして会話が出来たらいいのになぁ・・・ なんて思ってしまいす。 ぜひ、ご一読下さい。 2010年の元旦。初日の出をバックに撮った写真。 健ちゃんのお気に入りです。 姿がなくなってしまったエディ。でもなんとなくエディの居場所を作りたくて あえて飾っていなかった花を用意し、こんな風にちょっとした場所を作りました。 しばらくは花を手向け、この場所でエディとお喋りしようと思います お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.06.24 07:31:54
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