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2004年12月2日 23時 健ちゃんとのデートから夜遅くに帰宅した私。 待っていたエディからの大歓迎振りを、自分で撮影し、 「今こんなだよ~」と写メールで健ちゃんに送った画像です。 いつもこうして帰宅すると大喜び! この後すぐ、オシッコさせに外をしばらく歩いたんだと思います。 雨や深夜の散歩は大変な時もあったけど、 この頃の私にとって、エディとの散歩がなによりの気分転換でした。 2005年1月30日 この時はまだ、プリンもいますね~(笑) 懐かしいなぁ 2人が大好きだった見沼公園にて。 2011年1月4日 どうして床に新聞を広げてゆっくり読もうとすると 必ずその上にどっかりと座っちゃうんでしょうね。 「新聞じゃなくて僕をみて!」ってことですかね。 今はもう、プリンといっしょのところにいるエディ。 あれから今日で2週間。 きっと今日の12:15も、祈らずにはいられないでしょう・・・ エディが私に心の準備をする時間をくれたお陰で 表向きは普通の生活が出来るほど、回復しています。 そこでお世話になった方へのご報告と、ご挨拶も少しずつ始めました。 話すと即座に涙が出る、という状態も峠をこしましたので・・・。 まずお一人目は、ご近所でハスキー犬を18歳、老衰でなくされた奥様。 私とエディを見かけては「ベランダから見えたから来ちゃったよ~。エディちゃん、げんきぃ~」 2年前に亡くされたハスキー犬とエディが重なるようで、 他にも、若くてかわいいワンちゃんが横を通り過ぎるのには見向きもせず エディ、エディと本当に可愛がって下さいました。 そんなお付き合いを何回か繰り返すうち、このブログでもご紹介したことのある ”老犬の飼い方”に関する本2冊と、「散歩や移動する時に使って!」と 大型犬が優に寝る事の出来る、折り畳みの出来るベッドを貸して下さいました。 ”夜中でもいいから不安になったら電話かけて”と電話番号まで。 ちょうど、”これからエディ、どうなってしまうんだろう・・・”と 不安に思い始めたタイミングでの出会いでしたので 奥様のお顔を見るたびに元気が出て救われました。 奥様はご夫婦で音楽教室をされている関係もある為、 少し前に電話でアポをとり、健ちゃんと、こちらの花束を持って お借りしたものをお返ししに行きました。 エーデルワイスさんの花束は、もう何回リピートしたか分かりません。 どなたに送っても大変喜んでもらえて安心! 但し、ピンクは始めて購入しました。 とても癒される優しい色合いで、私たちの感謝の気持ちを表すのには 最適でした。 咲いてる花数、つぼみの数の割合がベスト! 差し上げた日から最後まで、かなり楽しめると思います。 そしてなにより安価! 感謝しています。 ちょうどハスキー犬が老衰で亡くなられた6月27日の前日に、 お時間を15分ほど頂戴して、お礼と感謝の気持ちをお伝えしてきました。 すると奥様、ちょっといたずらっ子な表情されて 「実は家族が増えたの」と。 ちょっとまっててと部屋を出て行かれるとしばらくして 小さな小さな子犬、しかもハスキー犬を大事そうに抱えて戻ってこられました。 これには、とてもとても救われました。 ”女の子”とあってお顔つきも優しい。 予防注射が完了していない為、まだお外に出る事はできませんが 今後、道でお会いし成長していく姿を私も楽しませていただこうと思いました。 健ちゃんと二人で、とても清清しい気持ちでお宅を後にしました。 2005年5月14日 近所の団地脇にたくさんのつつじが咲きます。 毎年ここで記念に写真を撮っていました。 エディはこの時9歳になったばかりです。 そしてもう一方。 向かいにお住まいの奥様。 お歳は80歳。と、おっしゃっていましたが そんな風には全く見えない、とてもお元気な奥様で、 義理の母には申し訳ないと思いつつも、内心『相模原の母』とまで したっている方なんです。 厳しいけれど、ご苦労されている分心根の優しい方で そういうところが私の実母と少し似た雰囲気を持っていらっしゃるんです。 道でお会いするたび、エディと私に労いの声を掛けてくださり とても癒されました。 奥様とのことで、思い出深いお話があります。 ある朝お会いした際に、奥様に少し時間の余裕がお有になるようだ、と 思ったので、その時思い悩んでいる事を思い切ってお伺いした事がありました。 「エディ、目も耳も不自由になってしまってきているんです。 深夜に”起こして”と吠えるので、起こしてあげても 歩くのもままならなくなってきているんです。」 「その度にドタン、バタンと物にぶつかりながら倒れ その様子があまりに居たたまれなくて。 それでもまた”起こして、歩きたい”というので 私も『もういいんじゃない?痛いでしょう』と 泣きながら抱き上げるんです。」 「それでも私、エディ、もういいよ。もう、頑張らなくていいんだよって 言ってあげることが出来ないんです。 エディがいたい思いをしているのに、私は私のためにどんなになった エディであっても、そばにいてほしくて・・・」 「だから、もういいよって言ってあげられない。 なんて惨いんでしょう。エディがいなくなるのが怖くて・・・(涙)」 すると奥様はこうおっしゃってくださいました。 「もういいよなんて言っちゃいけないのよ。」 「もういいなんてそんなの駄目なのよ。一生懸命生きようとしているのに。」 「私はもう一人じゃないのよ。大切な家族やお友達もたくさん出来たの。 安心してね。って、安心させてあげるのよ。 もう見てられないから逝っていいよなんて言ったら駄目なのよ」と。 「この子はきっと、あなたの事が心配で仕方が無いんだね。 あなたの悲しい姿をたくさん見てきたんでしょう。 心配で離れられなくなっているのかもしれないね。」 (エディを強く撫でながら) 「あなたのお母さんはい~い子どもも出来て、幸せに暮らしているわよ。 な~んにも心配する事はないのよ。 ま~ったく(ため息)、口がきけないから本当に可哀想よね」 でも、私、その意見は目からうろこで。 ”エディに楽になってもらいたい”一方で、”エディにそばにいて欲しい” 相反する心の乱れが、この日を境に、明確に変わりました。 その日以来、エディを亡くす恐怖の日々から、エディに対するこれまでの感謝、 そして今の幸せな日々に感謝できるようになったのです。 確かに、こんな私にもあまり人が経験しない、寂しい時代がありました。 でもその時は、エディに助けてもらってなんとか乗り越えました。 家族、子ども、または子どもを通じて知り合えた大切な友達。 思えば、愛する対象の人や物やことがあの頃より数倍増えています。 奥様にそのことを教わってから、寝たきりのエディに 今日逢った嬉しかった事、笑ってしまったこと、 昔していたようになんでも話しかける事にしました。 考えを180度転換することって、なかなか難しいと思います。 でもその日以来、エディと離れる心の準備を、 少し明るい気持ちで出来るようになったかな、振り返るとそんな気がします。 その奥様との唯一の約束で 「もしエディに何かあっても、私にはすぐには言わないでね」 「あなたの気持ちが落ち着いてから、だいぶ経ってからでいいから」と 言われていました。 ですので、エディの最後の日の前日の昼。 同居の義父、義母に報告した際、「奥様には自分でいうので少しの間言わないでほしい」と お願いしたほどでした。 今週の水曜日、朝、洗濯物を干していると正面に位置する 奥様の玄関の扉が開いて、中からホウキをもってお掃除にでていらっしゃいました。 「わんちゃんの調子はどうなの?」 ドキッとしましたが、前日、幼稚園ママにエディのことを聞かれ 報告した際、泣くことなくお話できたので、奥様にもそろそろ・・・と 思っていた矢先のことだったのです。 「ん~。それが・・・。」とだけ言うと 「そう、それじゃ、後でいらっしゃい。暇でしょ(笑)」 子ども達を園まで送り、開店を待って美味しいケーキ屋さんで ジェラートアイスとフルーツゼリーのミックスドリンクを手土産に 1時間半、お話してきました。 とても思い出深い内容の時間だったので 次の日記に記録して残しておきたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.06.30 12:03:32
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