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カテゴリ:ファッション
ロレックスお金が貯まる生き方(お金で苦労しない人生の為に)
高級腕時計にロレックスがあります。 ロレックスは世界中が認める高級腕時計ですが もっと高額な時計メーカーは他にもあります。 しかし 誰が見ても高級腕時計だ! と 認めるものが「ロレックス」です。 プロテニスの錦織圭が戦うテニスコートでも バックの時計は「ロレックス」 子供でも知ってる高級時計なのです。 商人が金持ちになりたいと思うなら ロレックスを身につけなさい 来るお客さんが変わります お金持ちはお金持ちを連れてきます 1人の金持ちから儲かりの連鎖の始まりです。 まさに、わらしべ長者 現代の「わら」が商人にとっては「ロレックス」なのです。 ヤフー知恵袋の記事紹介 以下引用 お金は便利ですよね、何とでも交換できます。 ある意味 愛とでも、、 お金はとても平等です。 頑張って嫌な想いをして働いた15万円の中から払う1万円も 宝くじで当たった3億円の中から払う1万円も 誰かの財布から盗んだ1万円も、同じものと交換できます。 それはお金は裏切らないから、皆その事を知っているからなんです。 それを信用経済と呼ぶのですが、 今回のノートでは例題をだして、お金の額面が同じでもこんなに違う面があるという事を紹介して お金に困らない人生の参考になれば幸いと思い書かさせて頂きます。 ある夫婦がいました。 まだ若い夫婦です。 共働きで、二人の手取り収入が合計で月に30万円だったとして下さい。 その二人は夢があり、子供を育てる家が欲しいと考えています。 だから、贅沢は厳禁、半分を貯金しています。 自分たちの夢の為だから全然苦にならない自主的な想いで節約をしています。 二人の共通の趣味は 競馬に行くことです。 (ここではギャンブルが良いか悪いかという話ではありません。) お酒もたばこもやらないご主人様 奥様も服や靴にはお金はかけません。 だけど、自分たちの為だから、苦になりません。 そんな二人の唯一の楽しみが競馬なので、ルールを決めて楽しんでいます。 月に1万円だけを持って競馬場に行きます。 負けても1万円以上は絶対に使わない、、 二人は出来るだけ、ゆっくり楽しみたいので、500円の馬券を買います。 それがある時1万円になったりします。節約して生きている分、やっぱりお金が増えると嬉しいし、減れば悲しい、その気持ちが競馬を楽しませてくれています。 時々 1万円ぐらい勝つ事もありますが、1年通すと10万円以上は負けてしまいます。 だけど その時のドキドキ感を二人は共有して満足していますので、一年に最高12万円の出費は 高いと思っていません。 それはそれで 何も悪い話では無いですよね、、話はここからです。 ある時ご主人様も奥様も会社から認められ 大出世をする事になります。 二人の給与は10倍の月300万円になりました。 その後 お酒もタバコもやらないご主人様とファッションには興味が無い奥様が、競馬を楽しむ為に 幾らのお金がいるでしょう?と言うのが一つのテーマです。 以前と同じ 500円をかけていては きっとハラハラしない筈です。 だって収入が10倍になっているから、、では5000円の馬券を買えば 同等のドキドキ感が買えるのかと言えば そうとも限らない、むしろまだまだ 足りない感じがするのですが、 仮に5000円で馬券を買って一日10万円と言うルールに変えて 同じドキドキ感が買えたとしたら、 同じ楽しみを10倍のお金をかけて買っている事になりますよね。 二人の求めていたものはこころの満足なので、全く同じものを手に入れるのに 支出が大きくならないと手に入らなくなってしまったのです。 また心に油断が出てきたら、色々とモノを買い始めるかもしれません。 ある意味収入が増えて夢が小さくなってしまう面もあるかもしれません、 ここで勘違いをしてしまったら、給与は増えて 支出が増えて 満足は減り、夢も縮むかもしれないですよね。 人間の欲(物欲)の殆どは収集欲です。 高級な時計(例えばロレックス)が欲しいと思っていても手に入れるともう一ランク上(例えば金無垢とか)の時計が欲しくなります。 そうなると手に入れた時計は心を満たしてくれないので、次の時計が欲しいと思いまた、その為にお金を貯めて、買ったとたんにダイヤモンドでキラキラの時計が欲しくなるかもしれないのです。 高級車が欲しい場合 ベンツが手に入れば ベントレーが欲しくなり それも手に入ればセスナ機が欲しくなり、それが手に入れば自家用ジェットが欲しくなるかもしれないのです。 勿論 そのご夫婦が絶対にそうなるとは限らないのですが、 この事を言葉にすると「欲にきり無し」です。 感謝をして生きていると忘れない事でも、感謝し続ける事は難しいかもしれません。 ある時15万円の給与が15万5千円になれば、「良かった 5000円増えてラッキー」と感謝しても、ちょっと経てば 15万5千円は当たり前になってしまいます。 お金持ちの家に生まれ フレンチのディナーを食べなれている子供がいたとします。 1食5万円もするディナーも続けば、普通の夕食です。 贅沢をしない家族に生まれ、月に一度の外食をワクワクしながら、百円寿司で過ごしている子供の方が、5万円のディナーに飽き飽きしている子供より 満足している気がします。 つまり 足るを知るが幸せな気がします。 今の我々は ひょっとすると5万円のディナーを飽き飽きして生きているタイプなのかもしれないと考えます。 周りがみんな 贅沢だから感覚が麻痺しているような面があると思います。 例えば この豊かな日本においても 戦後位の昭和中期にはモノが無くてひもじい思いをしてみんな生きていたのだと思います。 朝から お米の御飯とみそ汁とちょっとしたおかずが食べられれば、心が満たされていたはずです。 今は満たされないですよね、そんな食事 刑務所の中でも出ています。 周りと比べて 自分がどうかって考えると中々感謝出来ない、、これってどうなんでしょう? それって 本当に豊かなんだろうか?と思ったりします。 結論を書くなら、こんな事を考えてみて、ちょっとでも響いてくれる人がいたら嬉しいという思いと 自分自身に問う意味で書いています。 関連ノートも貼っておきますので、ちょっとでも響いた方、開いて興味がわいた方は読んで頂けると幸いです。 こんなに長文になってしまいました。 最後まで読んで頂きありがとうございました。 感謝いたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.10.16 06:48:33
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