テーマ:最近観た映画。(40108)
カテゴリ:映画
「夏時間の庭」(原題:L'Heure d'été)は、2008年公開のフランスのヒューマン・ドラマ映画です。パリ、オルセー美術館の20周年を記念して制作された作品で、オリヴィエ・アサイヤス監督・脚本、ジュリエット・ビノシュら出演で、パリ郊外の古めかしい邸宅を舞台に三世代にわたる家族に受け継がれていく様々な思いを、美しく繊細な映像美で描いています。
「夏時間の庭」のDVD(楽天市場) スタッフ・キャスト 監督:オリヴィエ・アサイヤス 脚本:オリヴィエ・アサイヤス 出演:ジュリエット・ビノシュ(アドリエンヌ、エレーヌの長女) シャルル・ベルリング(フレデリック、エレーヌの長男) ジェレミー・レニエ(ジェレミー、エレーヌの次男) エディット・スコブ(エレーヌ、母) ドミニク・レイモン(リサ、フレデリックの妻) ヴァレリー・ボネトン(アンジェラ、ジェレミーの妻) イザベル・サドヤン(エロイーズ、古くからの家政婦) アリス・ドゥ・ランクサン(シルヴィー、フレデリックとリサの娘) カイル・イーストウッド(ジェームズ、アドリエンヌの婚約者) ほか 【あらすじ】 パリ郊外の小さな町ヴァルモンドワ。有名な画家であった大叔父ポール・ベルティエが生前使っていた邸宅にひとり住む母エレーヌ(エディット・スコブ)の誕生日を祝う為に、三人の子供たちの
その一年後、回顧展の後に、母は突然、亡くなります。悲しみに浸る間も無く、三人の子供たちは家と膨大な美術品という遺産と向き合うことになります。フレデリックは手放すつもりはありませんでしたが、アドリエンヌはアメリカ人の恋人ジェームス(カイル・イーストウッド)との再婚を決め、ジェレミーも生活の拠点を本格的に中国に移し、夏を過ごすセカンドハウスをバリ島に買うつもりであることを告げます。遺産を相続するには莫大な相続税がかか一方で、世界に離散する三人の子供たちにとって亡き母の家はもはや家族が集まる場所ではなくなるのです。三人は家を売却、美術品をオルセー美術館に寄贈することで合意し、後日、美術館の職員が家から全てを持ち去ります。 ポールの生前からの家政婦エロイーズ(イザベル・サドワイヤン)は、がらんとなった家を一人訪れ、亡き主が好きだった花を墓前に捧げます。家を譲渡する前の週末に、フレデリックの長女シルヴィー(アリス・ド・ランクザン)は大勢の友人を招いてパーティーを開きます。若者たちが大音量の音楽をかけ、ビールを飲み、ドラッグを回す中、彼女はボーイフレンドを連れて広い庭に出ます・・・。 【レビュー・解説】 時代の変遷と社会、芸術、文化に対する洞察を背景に、パリ郊外の美しい自然に囲まれた古い家に集う親子三代の家族を印象派の絵画のように軽く美しいタッチで描いた、フランス風味溢れる散文詩的なヒューマン・ドラマです。 オリヴィエ・アサイヤス監督・脚本、ジュリエット・ビノシュ主演の「アクトレス~女たちの舞台~」(2014年)を観た際に、同じくアサイヤス監督・脚本、ビノシュ出演の本作を観てみたいと思い、ようやく観る機会を得ました。両作とも時代の変遷や世代間の摩擦を描いた会話劇ですが、本作最大の魅力は印象派の絵画のように軽く美しいタッチで描かれた風景や、散文詩のようにあっさりと描かれた人間関係です。 印象派の絵画のように繊細で美しい映像 オルセー美術館の20周年を記念する作品 パリーのオルセー美術館は、セーヌ川を挟んでルーブル美術館の対岸にあった列車の駅舎を改修し、1986年にオープンした19世紀美術専門の美術館です。印象派の美術館として有名ですが、ポスト印象派、アカデミズム絵画などの作品も所蔵されています。20周年記念作品はかつて駅舎であった美術館の建築とその収蔵品が登場することを条件で、本作は「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」(2007年)に続く記念作品第二作目です。美術品はあくまでも脇役であり、美術を全く知らなくてもフルに楽しめる作品ですが、本作には、
数々の喪失を軽くシンプルに描く 母の喪失
私は非常にシンプルな構想から始めました。当初は短編のようなもの考えていたので、それは当然のことでした。短編映画を考えていたのです。物(美術館の所蔵品)から始まった話で、その単純な骨組みがそのまま残っています。美術品は生来、実際の人間の実際の生活に関係するもので、その役目を終えれば、動物園、すなわち美術館でその余生を過ごすことになります。私はそれに関してとても短い話を作りたかったのですが、キャラクターを作り、命を吹き込むと、それが徐々に家族になり、複雑な相互作用を持ち始めました。育っていったのです。(オリヴィエ・アサイヤス監督) さらに、アサイヤス監督は本作撮影の数ヶ月前に実母を亡くしており、それが逆に本作の軽いトーンやスタイルに拍車をかけることになりました。 印象派の手法を使おうとしてはいたのですが、作品の調子やスタイル、タッチの軽さにはとてもこだわりました。難しく複雑で終いには痛みをもたらすことを描いていると自覚する私は、印象派と同じ軽さが欲しかったのです。映画で描かれているような感情に対する免疫が、私にはありませんでした。撮影の数ヶ月前に母を亡くしたばかりだったのです。だから、映画の展開が重くなったり、劇的になればなるほど、軽さの維持にこだわるという不思議な構成になっています。(オリヴィエ・アサイヤス監督) グローバル化の影響 欧州の国々はもともとナショナリズムが強いのですが、極端なナショナリズムがヨーロッパ大陸を荒廃させたという反省から、第二次世界大戦以降、西ヨーロッパでは欧州統合の機運が高まりました。アメリカによるグローバリズムの展開、日本などアジア勢力の台頭が欧州各国の危機感に拍車をかけ、1993年にそれまでの欧州経済共同体を引き続く形で欧州共同体が誕生、域内でのヒト・モノ・カネの移動が自由になり、グローバルな活動が盛んになりました。
本作では、
時代の変遷、世代のギャップ 本作に描かれている離散や断絶といったギャップは、グローバル化によるものだけではありません。時代の変遷や世代間のギャップ、当事者・部外者のギャップなども描かれています。冒頭、やんちゃな孫たちが広い庭を走り回るシーンで始まりますが、池は危ないと家政婦のエロイーズが注意するものの、孫たちは意に介しません。これはよくある世代間のギャップのひとつです。 続いて庭のテーブルを囲んで母の誕生日を祝う子どもたちが映し出されます。子どもたちが母にプレゼントを贈り、その中にコードレス電話がありますが、母は複雑過ぎてと躊躇います。中盤、美術品整理の為に実家に集まった子供たちは、「使い方はフレデリックに連絡」とメモを貼ったままで、手付かずのコードレス電話を発見します。これは、老いて時代とのギャップを埋めることができない母を象徴しています。同じく、中盤、娘のシルヴィーが補導されたことを契機に、フレデリックとシルヴィーが激しく対立します。これも世代間のギャップのひとつです。中盤で浮かび上がるこのシルヴィーのプレゼンスは、エンディングへのフォア・シャドウイング(予兆、伏線)になっています。 終盤、携帯で話をすることに夢中な男が、オルセー美術館に寄贈された机に目もくれずに、フレデリックとリサの目の前を通り過ぎます。この男は、時代とのギャップを埋めることがないまま美術品を守り続けた母に対する、強烈なアイロニーになっており、いわば当事者と部外者のギャップです。この痛烈なギャップもエンディングへのフォア・シャドウイングになっていますが、興味深いのはこの男が携帯で「映画を観に行こう」と話している点です。言ってみれば、この映画を見ている我々も部外者であり、スクリーンのこちら側と向こう側には決して超えることができない大きなギャップがあります。それでも我々は時に感情移入したり、時に共感したりできるわけで、アサイヤス監督はこれをエンディングの解釈に引っ掛けているのかもしれません。 ギャップを超えるもの グローバル化による離散、時代の変遷、世代間のギャップなど、古き良きものを受け継ぐ難しさを感じさせる作品で、エンディングでも若者たちがテンポのいい音楽を大音量でかけ、酒を飲み、ドラッグを回してパーティを楽しみます。重なる数々の喪失に沈む一方ではなく、若者たちの活力が希望を暗示するようでもあり、私は気に入っていますが、これを不謹慎と感じる人もいるようです。 <ネタバレ> エンディングは、本作の本質です。まさに本作が描こうとしていることです。私はノスタルジックになりたくなかったし、物質文明の中で失われていく美についての映画を作りたかったわけでもありません。それらは型にはまっているだけではなく、私が言いたいこととは全くに逆なのです。エンディングのシーンは、まさに私が説明しようとしている複雑さそのものなのです。時の経過は、ある意味、冷酷です。この家を好きになり、愛着を覚え、思い出もでき・・・・というところに、過去も知らず、意にも介さない若者たちがいきなり現れるわけです。我々とは異なり、彼らは既に家具が運び出された家に亡霊を見ることもありません。そこには何かしら冷酷なものが感じられますが、それはフレデリックが何を心配しようが孫たちには関係ないだろうという先入観です。 母の喪失、家族の離散、生まれ育った家や庭の喪失、家族の集いの喪失、思い出の美術品の喪失といった数々の哀しみを題材にしながら、印象派の絵画のように軽く美しいタッチで風景を描き、散文詩のようにあっさりと人間関係を描き、孫たちが遊び回るシーンで始まり、孫たちが遊び回るシーンで終え、終いには希望さえ感じさせる、見事な構成の作品です。因みに、原題の「L'Heure d'été」は夏時間と言う意味で、本作のテーマのひとつである「時間」に「夏」という言葉が繋がり、ポジティブなニュアンスが感じられることからタイトルに採用されたそうです。 <ネタバレ終わり> 余談:変遷を続けるヨーロッパ 昨今、金融商品取引法(有価証券報告書虚偽記載)及び会社法違反(特別背任)の疑いで逮捕され、メディアを賑わしているカルロス・ゴーン容疑者ですが、彼の両親はレバノン人で、彼はブラジル生まれです。ブラジルとレバノンの二重国籍だった同氏にフランス政府は新たにフランス国籍を与え、国策会社であるルノーのトップに据えました。外国人を国策会社のトップに据えるなんて、一昔前のフランスでは考えられないことですが、いずれにせよ、この二十年余りの間にフランスがグローバル化よって大きく変化したことは間違いありません。 ちょうど米国のリーマン・ブラザーズが破綻した2008年に本作が公開され、翌年にはギリシア危機が起きてEUの意味が問われ始めます。実はこの頃、既に東欧からの域内移民が増え始めています。EUには国境を越えた自由移動の原則があり、また、欧州移民を自国民と平等に扱う義務がありますが、イギリスでは雇用や公共住宅など社会福祉面で競合する労働者・低所得者層を中心に反EU感情が高まり、2016年にはついにEU離脱の国民投票が行われました。一方、2011年から内戦が続くシリアを中心に中東やアフリカなどからも難民が欧州に押し寄せ、2015年には前年比で倍増と勢いを増します。フランス、ドイツなどのEUの核となる国々でも反移民やEU離脱を唱える極右勢力が台頭し、政権を揺るがすなど、その後も欧州は大きく動いています。本作に続編はありませんが、シルヴィーが極右の政治活動に身を投じているという設定で続編を作ったら面白いのではないかと、勝手に想像をめぐらしています。 ジュリエット・ビノシュ(アドリエンヌ、エレーヌの長女) ジュリエット・ビノシュ(1964年)は、フランス出身の女優。1983年に映画デビュー、1985年公開の「ゴダールのマリア」や「ランデヴ」で人気を得、セザール賞主演女優賞にノミネートされる。その後、
している。本作は主演の一人という扱いで、ちょっと見た感じでは長男を演じたシャルル・ベルリングの方が目立つ印象がだが、母に対する娘の仕草など天下一品の演技で、天才女優の片鱗が伺われる。 シャルル・ベルリング(フレデリック、エレーヌの長男) シャルル・ベルリング(1958年〜)は、フランス出身の俳優。「父を殺した理由」(2001年)、「皇帝ペンギン」(2005年)、「エル ELLE」(2016年)などに出演している。本作では、ベテランらしく、安定した説得力のある演技を見せている。 ジェレミー・レニエ(1981年〜)は、ブリュッセル出身のベルギーの俳優。「ある子供」(2005年)、「つぐない」(2007年)、「ヒットマンズ・レクイエム」(2008年)、「ロルナの祈り」(2008年)、「しあわせの雨傘」(2010年)、「少年と自転車」(2011年)などに出演している。 エディット・スコブ(エレーヌ、アドリエンヌとフレデリックとジェレミーの母) エディット・スコブ(1937年〜)は、パリ出身のフランスの女優。60年以上のキャリアを持ち、映画・テレビドラマ以外に舞台女優としての実績がある。「顔のない眼」(1960年)、「列車に乗った男(2002年)、「ホーリー・モーターズ」(2012年)、「未来よ こんにちは」(2016年)などに出演している。本作、及び「ホーリー・モーターズ」でセザール賞助演女優賞にノミネートされている。 ドミニク・レイモン(左、リサ、フレデリックの妻)ドミニク・レイモン(1957年〜)は、ジュネーブ出身のフランスの女優。「マリー・アントワネットに別れをつげて」(2012年)、「タイピスト」(2012年)などに出演している。一見ソフトだが、実は年相応にしっかりとした芯を持つ女性を演じ、説得力のある安定したパフォーマンスを見せている。 ヴァレリー・ボネトン(右、アンジェラ、ジェレミーの妻) ヴァレリー・ボネトン(1980年〜) は、フランスの女優。「グッバイ・ファーストラブ」(2012年)などに出演、「君のいないサマーデイズ」(2010年)でセザール賞助演女優賞にノミネートされている。 イザベル・サドヤン(右、エロイーズ、ポールの生きていた時代からの家政婦)イザベル・サドヤン(1928年〜2017年)は、リヨン出身のフランスの女優。映画、テレビのみならず、数多くの舞台に出演するとともに、衣装も手がけている。「欲望のあいまいな対象」(1977年)、「マルタン・ゲールの帰還」(1982年)などに出演している。本作撮影時、エディット・スコブより10歳近く年上の最年長で、年季の入ったどっしりとした家政婦を見事に演じているのは、キャリアの長さ、豊富さの証左と言える。惜しくも、惜しくも、2017年に亡くなっている。 アリス・ドゥ・ランクサン(シルヴィー、フレデリクとリサの娘)アリス・ドゥ・ランクサン(1991年〜)は、パリ出身のフランスの女優。映画俳優・監督のルイ=ド・ドゥ・ランクザンと撮影監督・映画監督のカロリーヌ・シャンプティエの娘。「水の中のつぼみ」(2007年)、「あの夏の子供たち」(2009年)、「婚約者の友人」(2016年)などに出演している。撮影時、16歳位で幼い顔立ちだが、アンバランスに大きい胸に一瞬、どぎまぎしてしまう。「婚約者の友人」でもそうだが、ちょっと不安定な部分がある役をやると光る女優かもしれない。 【撮影地(グーグルマップ)】 「夏時間の庭」のDVD(楽天市場) 【関連作品】 オリヴィエ・アサイヤス監督xジュリエット・ビノシュのコラボ作品(楽天市場) 「アクトレス〜女たちの舞台〜」(2014年)監督・脚本 「ノン・フィクション」(2018年)監督・脚本 オリヴィエ・アサイヤス監督・脚本作品のDVD(楽天市場) 「冷たい水」(1994年)監督 「イルマ・ヴェップ」(1996年)監督・脚本 「8月の終わり、9月の初め」 (1998年)監督・脚本 「カルロス」(2010年)監督・脚本 「5月の後」(2012年)監督・脚本 「パーソナル・ショッパー 」(2016年)監督・脚本 ジュリエット・ビノシュ出演作品のDVD(楽天市場) 「トリコロール/青の愛」(1993年) 「イングリッシュ・ペイシェント」(1996年) 「サン・ピエールの生命」(2000年) 「隠された記憶」(2005年) 「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」(2007年) 「夏時間の庭」(2008年) 「トスカーナの贋作」(2010年) 「カミーユ・クローデル ある天才彫刻家の悲劇」(2013年) ・・・北米版、リージョン1、日本語なし 「レット・ザ・サンシャイン・イン」(2017年) 「ポリーナ、私を踊る」(2018年) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019年01月16日 05時00分06秒
コメント(0) | コメントを書く
[映画] カテゴリの最新記事
|
|