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テーマ:農業(985)
カテゴリ:農業
今年一月に、「なぜ希望は消えた?あるコメ農家と霞ヶ関の半世紀」
という番組をNHKでしてましたが、 戦後以降の農業政策の歴史がよく分かりますので、要点を紹介します。 ●戦後GHQによる農地改革 地主の土地を小作農に分け与え、農民から絶大な支持を得た。 →しかし、一戸当たりの農地が狭くなった。 (補足)GHQは日本を、工業国から農業小国に転換し、米国の市場とするつもりだった。 ●1961年(昭和36年) 農業基本法の成立 (背景) 農家の所得は工業労働者のわずか3分の1。どうやって農家の所得を増やそうか? GHQによって一戸あたりの農地が狭いのが問題。 →この農家の所得を増やすために、アメリカのように農地の規模を拡大しようじゃマイカ! 農家の一部が工業労働者になると、 一戸あたり2.5haに拡大し、農地の大規模化ができる!と官僚は読んだ。 (結果) しかし農地は代々祖先から受け継いだ大事な資産。 実際は農地を売る農民がなく、農地の規模拡大も農家の所得増大もなかった。 結局、農地基本法は非現実的な甘い理想だった。 ●1966年(昭和41年) 農地の宅地への転用始まる。 (背景) 住宅需要が増大して、違法にもかかわらず農地が宅地などに転用され問題に。 →都市計画を定め、 宅地への転用を認める市街化区域と、 宅地への転用を認めない調整区域に区分けした。 農家は土地を高値で売れる市街化区域にされることを望んだ。 ●1970年(昭和45年)減反の開始 (背景) 昭和40年代、米の収量増加と食の欧米化による米消費の急激な減少によって、 コメ余りが問題化した →政府は減反を開始した。 (結果) 減反はこの後40年も続くことに。 農家にとってはボディブローのような打撃。 最初は1割の減反。 ●1970年(昭和45年)から 米価闘争始まる (背景) 農家は経済成長から取り残された上に、 減反されるとさらに収入減になってしまい怒り心頭! →米価闘争で米価を高くするよう要望した。 (結果) 米価は上昇したが頭打ちに。農家は兼業農家になり農業からの撤退を考えるように。 ●1986年(昭和61年) アメリカが米市場の開放を要求 (背景) アメリカ:工業製品はアメリカに輸出するのに、農作物は輸入しないのはけしからん! 政府:日本の農業をもっと効率化して、コメ農家一戸あたり10-20haくらいにしないと アメリカに太刀打ちできない~ (政府) 市場原理を利用して、有能な農家を支援するぞ! 食管制度やコメの入札を導入。 ●耕作放棄や違法な農地の転用が増える。 (背景) 農地法により、農家でなければ農地を借りられないようになっていた。 (借金などで地主に農地を取られないようにしていた) (政府) 1991年(平成3年)企業など農民以外の人も農業ができるよう、 農地法改正を密室で議論したけど頓挫。 ●2009年(平成21年) 農地法改正 (背景) 耕作放棄がさらにひどくなり、農地の一割に達する勢い。 農地の売り手や貸し手はたくさんいるのに買う人や使う人はいない。 団塊世代の高齢化で、大量の農家がリタイアを始めた。 (政府) 耕作放棄を解消するため、企業も農地が利用できるようにやっと農地法を改正した。 ●2010年(平成22年) 民主党、個別所得補償制度を開始 (政府) 0.1haあたり15000円(総額5600億円)の補助金を開始。 果たして日本の農業は復活するか?? --------------------- こうしてみると、戦後農家は大変な目に遭ってきたんですね。 さらにTPPによって農業はどうなるのでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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