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2023.09.14
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カテゴリ:名所・旧跡
JR福井駅周辺でのブラブラ歩きでは、
歴史に名を残す2つの城跡も訪ねて来た。

まずは幻の巨城 北ノ庄城跡


織田信長の家臣 柴田勝家が、
越前朝倉氏滅亡後に領主となった際に築いた城で、
現在は柴田勝家を祀る柴田神社として、
城跡の痕跡が僅かに残るのみとなっている。


北ノ庄城は近くの足羽山から採れる、
笏谷石を大量に使った強固な石垣と、
9階建ての高層天守が建っていた巨大な城だっと伝わっているが、
築城から僅か8年目の1583年に、
柴田勝家が羽柴秀吉との戦いに敗れて落城し、
爆破・炎上したために幻の城となってしまった。

城跡に立つ柴田勝家の像


柴田勝家と共に命を落とした妻お市の方の像も建てられている。


お市の方の3人の娘、
浅井三姉妹と言われる茶々、初、江の三姉妹の像も、
母 お市の方の像の傍らに建てられていた。


北ノ庄城が落城して滅亡し、
1600年の関ケ原の戦いの後に越前の領主となった、
徳川家康の次男 結城秀康(松平秀康)が築いたのが、
現在も城跡の一部が残る福井城。

こちらの城跡には結城秀康(松平秀康)の像が


福井城は江戸時代を通して徳川家一門の大名として、
越前藩32万石を治めた藩の居城で、
本丸と内堀が現存しているが、
本丸跡の本丸御殿があった場所には、
福井県庁の重厚な庁舎がデーンと建っていて、
正直、城跡としての趣は台無しになっている。


越前藩の政庁だった福井城に、
福井県の県庁を持って来たい気持ちは分かるけど、
何とかならんかったのかね。

内堀を渡って本丸を結ぶ御廊下橋。
藩主が本丸を行き来する時に用いられたとのこと。


本丸の一部には天守跡の石垣が残されていて、
5階建ての天守が建っていた名残を感じる事が出来る。


越前の地を治めた、
光と影のような対象的な2つの城。

福井には更に前の時代の越前を治めた、
朝倉氏の一乗谷城の跡も近くにあるので、
今度はちゃんと時間を取って、
そちらにも足を伸ばしてみたい。





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最終更新日  2023.09.14 21:07:31



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