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2024.07.09
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カテゴリ:名所・旧跡
今回の長旅の折り返し地点は山口県萩市。

長州藩毛利氏の城、
萩城と萩の城下町を散策して来た。

萩城跡の入口に建つ藩祖:毛利輝元の像


1600年関ヶ原の戦いで、
豊臣家の大老の1人だった毛利輝元は、
西軍の総大将に祭り上げられたが、
結局戦場には出ないままで敗戦。

関ヶ原では毛利氏一族の吉川広家が、
中立を条件に毛利一族の本領安堵を取り付けたが、
徳川家康により約束を反故にされ、
広島を中心とする120万石から、
周防、長門2ヵ国の36万石にまで、
一気に領地を削られた。

しかも、藩主が居住する城を
日本海側の萩とするよう幕府から指定され、
長州藩士たちは徳川幕府に対しては恨み骨髄。

ホントかウソかは知らないが、
長州藩士たちは夜寝る時は、
江戸の方向に足を向けて寝たそうだ。

そんな長州藩の恨み骨髄の鬱積した感情が、
幕末維新の原動力として爆発するのだが、
歴史の転換点には必要なエネルギーだけれども、
平時にその狂信的なスーパーハイテンションなのが身近にいたら、
正直かなりウザいだろうな。

城内で桝形を形成する大きな石垣



桝形を抜けると本丸を囲む堀の端に出る


萩城本丸入口からいざ入城


本丸側から堀と石垣を眺める


天守は維新後の明治7年に廃城令で解体され、
当時の写真も残っているが、
今は天守台の石垣だけが残っている。
勿体ないな~。


本丸の中には毛利氏を祀る志都岐山神社があって、
幕末のドラマなどでお馴染みの毛利家の家紋がドーン!




城内の散策を終えた後は家臣達が暮らした城下町へ。

町割りが当時のままで、
多くの建物が残っていて、
江戸時代の街並みを感じることが出来て楽しいが、
やはり戦災に逢わなかったのが大きいな。




木戸孝允(桂小五郎)の生家もそのまま残っている。


禁門の変で自刃した久坂玄瑞の像。
私個人的にはこの人はテンション高すぎてムリそう。


典型的な革命型の人物、高杉晋作の像。
平時に生まれていたら、
全てが奇抜過ぎて奇人変人の類いで終わっていただろう。


楽しい萩城と城下町散策、
平日で観光客の姿もほととんど見られなくて、
落ち着いた雰囲気の中で色々な歴史妄想をしながら、
ゆっくり歩く事が出来た。





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最終更新日  2024.07.09 07:33:51



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