オホーツク学(オホーツク魅力学)を構想する。
オホーツクと地域名称について、横浜から移住する前は、それほど関心を持っていなかったというのが正直なところである。それまで地理の教員として、中学生や高校生に北海道をテーマにした授業には割合積極的に取組んできたし、中学生用の社会科教科書の地理的分野の執筆もさせていただき、その担当も長いこと北海道であったが、オホーツクというキーワードで北海道を考えたことはほとんどなかったというのが正直なところだ。 しかし、まさにオホーツクの中に位置する町に住むようになり、いろいろなところに出入りするようになると、オホーツクという視野を持って物事を考えることの重要性を感じている。その一番のきっかえとなったのは、オホーツクのある町のスーパーマーケットのホームページの制作に関わったときだ。 スーパーマーケットとしての地域の中でも歴史のあるところだが、その町の中のスーパーということよりも「オホーツクにあるスーパーマーケットである」ことがサイト構築の中の打ち合わせ等で、何度も繰り返し登場した。その町は実際のところ海には面していないが、日常の生活面でいえば、20分も走れば、海に面した地域にいけるし、人々の生活圏は明らかにオホーツクなのである。「町の中のことはもちろん大事だけど、オホーツクという視野に立って考えると商売をするにあたっては、いろいろな発想が生まれてくるんだよ!」 そうした考え方はそれ以外の場面でもいろいろ感じることが多々あった。先日別の町の移住を促進している議会の関係者の方とお会いしたが、自分の町から1時間も車を走らせれば、オホーツクのいろいろな観光地に出かけられる。それはほとんどが町内ではないが、どこにでも行ける環境ということを考えればそれも大事な資源になり、いろいろな地域との連携や連帯も生まれやすい。自分の地域だけでなく、周辺の地域のことにも関心が出てくる。 今道内でも町村合併が行われ、網走管内もそれまでの26の自治体から19の自治体に変わった。行政区分ということから、オホーツクを考えることも一つの視点ではあるが、そうした行政区分ではなしに、人々の生活する空間という視点から、改めてオホーツクという地域をとらえ直し、そこに潜在的にある「地域が生み出す力」を再認識し、今後オホーツクがどう新しい時代を築き上げるかという視点を「オホーツク学」として構築してはどうかと思っている。 日本の歴史的な流れとは、座標軸が北海道の場合は違った存在である。その北海道の中を見てみるとさらに違った座標軸がそこには存在する。世界の中のオホーツク、アジアの中のオホーツク、日本の中におけるオホーツク、北海道の中におけるオホーツクという点からグローバルに考えつつ、これまでのオホーツクの地域形成を勉強してみたいと思っている。そこに人々がどうくらし、そのくらしをどう変えてきたか。その中でどんな文化が育てられてきたか。 一方で世界遺産となった知床、ラムサール条約に登録された濤沸湖などに代表される恵まれた自然に対し、これから人々がどのような関わりをして、自然を維持していくか。今ある自然を単に守るというよりも、どう育てていくかということが大事なのではないかと思っている。 それは「オホーツクの魅力学」ともいえるものかもしれない。まずは、少し「オホーツク」と題された文献をひもとくことなどから初めてみたいと思っている。