カテゴリ:旅
一緒に行動を共にしていた吉田さん無理を言って、昔住んでいた公務員住宅のある横浜市港南区日野6-11に行きました。
横浜市港南区日野6-11-1付近から公務員住宅の並びを眺める 横浜市港南区日野6-11付近の地図 ここには2004年4月まで居住しましたので、18年後の今、どうなったか大変興味がありました。僕の住んでいた9棟と16棟は残っていました。 横浜市港南区日野6-11-1~横浜市港南区日野6-11-5、つまり1棟から5棟まではなくなりました。老朽化が進んで廃棄されたようです。その1棟があった場所には、ローソンと西松屋が入りました。
1棟の位置に新しく立ったローソンと西松屋 2棟から5棟までの跡地はよくわかりません。僕の住んでいた9棟と16棟は残っていました。 ここには1986年から18年間住みました。最初の15年間は、横浜市港南区日野6-11-16(16棟)に住みました。住んだところは前に大きな建物等がなく、坂の上の眺めの良いところでした。間取りがちょっと狭くて、3kの間取りを当時は僕の母、妻、子ども2人と僕の5人で暮らしていました。ここでも団地の敷地の隅を畑として活用していました。
2022年の16棟のようす ここに住んだ最後の3年間は、横浜市港南区日野6-11-9に住み替えました。ちょっと間取りが広くなって4Kになりました。でも眺めは前後に団地があって悪くなりました。ここでも団地の敷地の隅を畑として活用していました。
2022年の9棟のようす しかし、団地のまわりは草がぼうぼうで、駐車場には車が止まっているもの人が住んでいる気配がはまりありませんでした。(現在も人は住んでいると思いますが、僕の住んでいる頃は、住民達で大規模な整備事業で草刈等をいっぱしやったような気がします・・・)何だかちょっと寂しい気持ちになって、公務員住宅を後にしました。 僕の公務員としての生活は、国立筑波大学附属盲学校に勤務していた頃です。国立筑波大学附属盲学校は国立大学独立法人筑波大学特別支援学校視覚部になっています。この横浜市港南区日野6-11から国立筑波大学附属盲学校までは、結構通勤に時間がかかりました。横浜市港南区日野6-11からは徒歩で最寄りの横浜市営地下鉄の上永谷駅まで約15分歩きました。上永谷ら戸塚まで乗車しました。(約10分)そこからJR東海道線で新橋まで行き、1区間、有楽町まで山手線に乗り、営団地下鉄・半蔵門線で護国寺までいきました、そこから筑波大学附属盲学校まは5分ぐらいでした。それでも横浜市港南区日野6-11から国立筑波大学附属盲学校までは約2時間かかりました。この時間をいわゆる通勤地獄の中通っていたかと思うと大変だったなあと思います。僕はその頃「通勤」を「痛勤」とよく書いていましたが、その言葉は今でも通用すると思います。 でも学校の仕事は毎回発見があり、興味深いものでした。生徒である視覚に障がいを持つ生徒たちと接することは非常に学ぶことが多かったです。今でもその時の教え子達とSNSで繋がっています。
筑波大学附属盲学校の山中湖での夏季学校 なぜこの仕事を辞めたかというと、当時私の子どもに問題があり、環境を変える必要があったからです。そして環境を変えたことによって、問題が解決しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年11月09日 16時57分47秒
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