テーマ:心の病(7311)
カテゴリ:病気・通院・心の動き etc.
前回の日記では、妊娠時までを書きましたが、今回は出産時の事を。
山あり谷ありで出産にこぎつけました。 里帰りで出産したわけですが。 出産時にも本当に色々ありました。 一部生々しい部分もありますので、苦手な方は読まない方がいいかもです。 検診に行った日、どうにもお腹が張って痛い状態。 なんかお腹が張ると伝えてモニターされていたところ、 「コレ、陣痛きてますよ。」 エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ? 一応ね、車のトランクにお産グッズは載せてたんで、 陣痛で痛むお腹と腰をさすりつつ、駐車場に荷物を取りに行きました。 検診は一人で行ってたもんで。 もちろん、ママンもパパンも仕事中、旦那は新幹線の距離。 この時点ではお昼ぐらい。 一人で陣痛室でジリジリ。 そのうち、張りが酷くなってきたなーマジで痛ーよとか思いつつ耐えてたら、 看護師さん達がモニターを見て険しい顔。 夕方ぐらいにバタバタし始めたと思ったら、医師が来て、 「胎児の心音が落ちてきてるので、緊急手術をします。 ご家族の方に来て貰って下さい。」 ェェェΣ(゚Д゚) 慌ててママンにも電話を入れ、旦那には手術になるとメール。 ママンは飛んで来て、書類とかサインしたり検査したりと準備して、 夜になって緊急帝王切開。 夜の消灯後、誰も居ない廊下をストレッチャーに載せられ、手術室に入る心細さよ。。。 そして手術時。 ライトの銀色の部分、ピカピカに磨かれ過ぎて、自分の腹が映ってる。 いくら剖検とか何度も見学したことがあるとはいえ、 自分の術中の開腹状態は見たくない( ̄△ ̄;) 見えないようにしてもらえないかと頼み、目の前をカバーで覆ってもらいました。 帝王切開は局部麻酔なんですが、その硬膜外麻酔の注射が痛い。 そこまではいい。 「効いてきたかな~?どうですか?」 と医師に訊かれ、触れる感じは鈍くなってきたと言ったのだけど、 メスを入れられた直後、 「イテテテテテ!!!!」 効いてねぇ!!ヽ(`Д´)ノ 涙目で暴れそうになる自分の腕を抑える看護師さん達。 麻酔追加されました。 今度こそ効いたかと、色々チェック後に、切られたけど、怖かったよ・・・。 子供を出すのにグニグニ押すのとか、痛くはないけど感触があるんだね。 生まれた瞬間の感想は、 「良かった。。。終わった。。。無事に出てきた。。。」 この後の方が、自分的には辛かった。 出産した夜、パンパンに脚がむくれ、寝返りも打てない状態。 熱も出てウンウン唸ってました。 ここまではまあ、手術後だし仕方ない。 麻酔が切れ始め、自分で痛み止めを押して打つ感じなんですが、 それを押した直後。 夜中だったんだけど、全身が熱くなって、身体が動かなくなってきた。 息が苦しくなってきて、身体が硬直状態。 このまま死ぬかと思った。 その長い時間の後、ちょっとだけゆるんで動ける瞬間に、 ナースコールを押して意識が飛んだ。 気が付いたら、ベットがナースセンターの隣の部屋に移動されていて、点滴打たれてた。 肩がゴッリゴリで首もガチガチ。 しばらくボーっとして動けなかった。 その翌日、精神科の医師がやってきて、診察があった。 どうやら、麻酔云々ではなく、パニック発作とかそっち方面だったみたい。 それから何回か、退院までにカウンセリングみたいなものを受けて、 退院時には頓服を渡された。 出産後は、今度は旦那と里帰りから帰宅する時の事で揉めた。 旦那は、里帰りから自宅に帰る時に、旦那実家に泊まりたいと言う。 私は日帰りで顔見世は良いけど、泊まりは体調的に無理と言う。 平行線で、夫婦仲悪化。 自宅に帰る日にちが伸びた。 それに伴って、精神的なものも悪化。 しんどかった。 なんだかんだで自宅に戻ってからも、結構その状態を引きずっていて、 生後5か月ぐらいで限界に。 爆発して旦那と大喧嘩。 泣いて辛さを訴え、色々あった。 それから3か月ぐらい、寝たり起きたりしか出来ない日もあったりした。 1歳ぐらいになった時、あまりに具合が悪いのが続くので、精神科にかかる。 薬を服用する為に、断乳決行。 断乳は辛かった。 でも、断乳しないと薬は飲めない。 泣きながら夜を乗り越え、断乳した。 それからしばらく、薬を飲んで、カウンセリングも通い、 落ち着いた頃に減薬、頓服だけ出されてすんなり断薬。 ここまでで1歳半ぐらい。 今度は二人目問題が。 旦那は二人目が欲しい、私は妊娠出産が怖い。 また悪化するかもしれない、手術後にまたパニック発作が起きるかもしれない。 妊娠中の悪阻も辛いし、一人目も見つつそれが出来る自信がない。 出生前診断で羊水検査の時とか、一人目の子はどうすんだとか。 何日もかけて話し合った。 協力をしっかりする、出産は里帰りせずに自宅で、とか色々提案もあった。 結局、私も折り合いをつけられた頃、二人目を妊娠。 今度は、結構幸せな妊娠生活だった。 悪阻は確かに酷くて、一人目は暴れまわる時期だし、辛かった。 でも、気持ちがものすごく落ち込むこともなかったし、夫婦仲も良かった。 多分、何日もかけて本音で話し合ったのが良かったんだと思う。 出産自体も、精神科の入ってる総合病院。 出産前からカウンセリングを何度もしてもらったりした。 ハイリスク妊婦だから、その説明も旦那同席でされた。 予定帝王切開だから、旦那にも麻酔とかそういう説明をきっちりされた。 帝王切開当日は、旦那が付き添ってくれた。 そのおかげで、かなり安定した気持ちで二人目は出産できた。 この経験があったおかげで、一人目の妊娠の時の辛さとか、 そういう気持ちの澱みたいな暗いものが、だいぶ薄れた。 二人目の幸せな妊娠出産の記憶が、上塗りしてくれた感じ。 一人目は、本当にダークな思い出しか妊娠出産期になかったから、 あまり思い出したくなかったりする。 振り返ると、辛かったなぁ、と思う。 今だから、こんなこともあったなって思えるけど、 当時はどうしたらいいか分からなかった。 医師には何も言われなかったけど、産後鬱に足を突っ込んでたんだと思う。 自分ではうつ病の再燃だと思ってたけど。 あと、産後クライシスにも当てはまってたのかも。 ・・・てな感じで、妊娠出産したから簡単に幸せになれますよなんて、気軽には言えません。 周りの環境とか人間関係とかで、ものすごく左右されるなって思います。 特に、実家が遠い、周りに頼れる知人友人もいない、 生活基盤や夫婦関係がしっかりと構築できてない、 断薬からあまり時間が経ってない。 こういう状態だと、妊娠後にもずっしりくるなと思いました。 まあ、振り返って思う事なんですけどね。 当時は必死だったし、しんどかった。 今でも眠りはかなり浅いです。 不眠症まではいってないですが、精神的に悩みがあると、すぐに不眠になります。 なので、あまり考えないように、悩まないようにと心がけてます。 うつ病の始まりの頃、最初の症状が不眠と手の震えと食欲不振だったので、 不眠と手の震えが出てきたら、自分でヤバいと思うようになりました。 そこに眩暈が起きてきたら、とりあえず休むようにしてます。 寝込んでいても何も文句を言われないのは、非常にありがたい。。。 こんな感じの妊娠出産・断薬でした。 ということで、断薬からはまだ5年経ってません。 このまま過ごしていけたらいいなと思います。 幸せな記憶で、辛かったのとかしんどかった気持ちも上塗りしていけたらなと。 海を見るのが、しばらくは辛い時期がありました。 特に遠浅のゆるい砂浜。 しんどい時期に、何度も入ろうかしらなんて一人で眺めていた記憶でザワザワして。 ここ2年ぐらい、皆で海に行ったりして、旦那の笑顔を見たり、隣で笑ってたりして、 それで上塗りできたのか、一人で砂浜に立って遠くを眺めても、 ざわざわした気持ちにならなくなりました。 その頃から、当時聴いてた曲を聴いても、不安定にならなくなりました。 記憶の上塗り。 感情の上塗りでもあるんですね。 辛い記憶を、楽しい記憶でちょっとずつ置き換えていって、 感情を安定させていく。 そういうのが自分の安定度を高めていっている気がします。 不安定な頃に触れたものは、自分が不安定になりやすいので避けるか、 こうやって楽しい記憶や感情で上塗りするか。 そうすると、寛解後も安定しやすくなると思います。 安穏と能天気に暮らしてるように書いてますが、 裏では色々あったのよー、なんて。 今だからこそ書けるけど、しんどかったですわ。 こんな感じでした。ハイ。 はー、今生きてて良かったと思います。 出産時は、本気で死ぬかと思ったけど(呼吸が出来ない的意味で)。 二人目出産から2年は経ったので、産後鬱の心配からは脱出できたと自分では思ってます。 日々を大事に過ごしていければいいな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年07月27日 12時36分52秒
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