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おじいちゃんのお別れ式を行った朝田寺です。 長男である義父は大家族の中で自分の子供三人の他に事情があって亡くなった弟さんの 子供二人も育てあげました。 わが子三人を育てるだけでも大変な事なのに。
私達が結婚したのが昭和47年。 沖縄が返還されるちょっと前でした。 なので沖縄はまだ外国なので新婚旅行は与論島に決めました。 大阪からの飛行機ですが主人の親戚が大阪で旅館をしていたのでまずそこで一泊 そこから旅行に向かいました 鹿児島経由での予定でしたが天候不良で鹿児島から飛行機が飛びません。 そこで旅程が急きょ変更になりました。 結婚式の費用は両方の親任せでしたが旅行の費用は二人で貯めました 出かける時に義父から渡された封筒の中には20万円入っていました しかもその中の2万円は千円札でした。 すごく義父の優しさを感じたのを思い出します。 鹿児島の旅行会社で宮崎などコースを決めて3泊の旅が出来たのも義父のお陰でした カードも何もないころの事でした。 夜、鹿児島に無事に着いた事を義父の職場に電話しましたがお留守だったので また後で電話しますと主人が告げてすっかり忘れて旅を楽しんでいました 本当なら与論島にいる筈の私達。 夜、遅くまで電話を待っていた義父はしびれを切らして最初のホテルに電話をしたそうです。 ところが予定が変更されていて行方不明となりました 九州の旅を終えた私たちはまた大阪の親戚に寄って初めて私達が行方不明になっていること 父が心配していることを聞かされました。 いきなり自分たちの事しか考えていなかった事に反省しきりでした。 ところが父は一人で心配していたのです。 母や他の家族に心配をかけないように自分だけで。 私たちの顔見てほっとした顔ででも何も言わない父でした。 結婚してもう40年になりますがいつもいつも父の優しさに触れて 大事にして頂いた事にとっても感謝しています。
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