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テーマ:生き方上手(689)
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今度の週末は台風が来そうなので、昨日は休みをとって海に行ってきました。
波も静かで天気もよく、絶好の海水浴日和でした。子供たちも大喜びで泳いだり、波打ち際で砂遊びしてました。今肩と背中が少々ヒリヒリしてます(^^; もしこんな風に自然がごく身近な場所に住んでたら、多分子育てひとつとってもずいぶん違ったものになるでしょうね~。 やれ車に気をつけろだの、知らない人についていっちゃいけないだの、通学路と違う道を通ってはいけないだの、土に触ったら汚いだの、勉強しないと立派な大人になれないだの、現代社会ならではの様々な制約がはずれた環境に置いてやると、子供は勝手にのびのびと遊びはじめるということがよくわかるからです。逆にいうと、そうした制約事項に気を使いすぎて、目の輝きを失ってる子供も多いんではないかと思います。 そうした制約があってもそれを易々と乗り越えて、自分の自由を獲得する強さを身に付けて欲しいと共に、そうした制約のない穏やかで安心感のある社会を作っていきたいもんですね。 -- 先日、あるニュースサイトを見てたら、面白いページが紹介されてました。 北岡明佳の錯視のページです。 いろんな絵がぐにゃぐにゃと動いてるように見えると思いますが、なんとこれ全部静止画なんです。速読の方でもこんなワークがあったんですが、これは潜在意識の働きによるものなんだそうです。 TOPの絵なんかわかりやすいと思いますが、自分の視線を向けた部分、すなわち中心視野で見ている部分はまったく動いていません。動いているのは、周辺視野で見ている部分です。そして周辺視野は潜在意識の管理下にありますから、ぐにゃぐにゃと動いてるのは、潜在意識の働きによるものです。 なんとかこの見ているものを解釈しようと、潜在意識があれやこれやともがいてる結果として、絵が動いて見えるんだそうです。僕らがまったく意識していないところで、僕らの潜在意識がさりげなく仕事してくれてるのがよくわかるでしょう。 ただし、なにもしないと、有能だけど勝手きままにバラバラに仕事している社員たちを抱えてる社長さんみたいなもんで、社員である潜在意識は、社長である僕らの表面意識のいうことにあまり従ってくれません。というより、社長さんが有能な社員の方を振り向きもせず、孤軍奮闘しては自分の能力の限界を感じて疲れきってるといった方がいいかもしれません。人間が一生の間に使う脳細胞は、全体の3%にすぎないというのも、おそらくそういう理由によるものだと思います。 そこで、社長と社員たちのコミュニケーションを回復し、表面意識と潜在意識が一体となって情報処理を行うための技術として、速読があるわけです。 速読は、周辺視野で本を読みそれを潜在意識レベルで“並列に”処理する(=社員はたくさんいるので)からこそ、1分間に数万字という途方もないスピードで本が読めるんです。速いから内容を味わえないかというとそうではなくて、潜在意識レベルでの処理なのでかえって深く味わえるんだそうです(僕はまだその段階に至ってませんが)。 潜在意識と表面意識とのコミュニケーションが密になれば、例えば「なぜだかわからないけど心の底からこみあげてくる感情」なんてのも、簡単に処理できるようになるんではないかと思ってます。表面意識の指令により、潜在意識内のデータベースを書き換えればいいわけですから。 今後の自分の成長が楽しみです(^^)v -- 最近よく行くBOOK OFFで、『巨人の星』を見つけました。 子供の頃、5つ上の兄がいつも買ってたので、僕が最初に読んだ漫画がこれでした。あまりに懐かしくて全巻揃えてしまいました(^^; あの頃の巨人の星は、日曜日の夕方に本編のTV放送があって、その前の土曜日に前の週の再放送をやるという、大河ドラマさながらの様相を呈していて、良い子はみんな見てたもんです(笑) 当時の印象としては、一徹とうちゃんはテレビこわしたりちゃぶ台ひっくり返したりと、ひたすらこわい人で、飛雄馬はそれに反発しまくるという印象があったんですが、読み返してみると全然違いました。 飛雄馬はとうちゃんが大好きなんですね。高校生になってさえ「とうちゃん、とうちゃん、おれの大好きなとうちゃん」といって、一徹に抱きつくシーンがあります。高校生の男で、これができるやつはそうはいないでしょう(^^; 一徹も、こわさ一点張りではなくって、本当によく泣く! 息子をつきはなしながらも、息子のことを思わずにはいられない、そんな感情がしょっちゅう吹きだして、目頭を熱くさせている男でした。 面白いのは、当時の風俗・生活習慣が、漫画の画面の中に垣間見えることです。 主に、昭和40年前後の東京の下町(本所、深川あたり?)の風景がよく描かれてますが、飛雄馬の生まれ育った長屋なんて、屋根が板葺で、風で飛ばされないように、石が屋根の上にゴロゴロ置いてあるんです。また、長屋の入り口に木戸を取り付けるための木枠が設置されてるところは、江戸時代の長屋とそうは変わってないんだなと思いました。 もちろん、テレビはめったにない代物で、テレビのある家に長屋の住人が集まってみんなでテレビを見ます。テレビのチャンネルは、ロータリー式の回すやつです(笑) 食事風景もよく出てきますが、明子ねーちゃんは、ご飯の入れ物にお櫃を使ってます。うちも数年ほど前、長岡式酵素玄米を始めるまでお櫃をしばらく使ってた時期がありましたが、あれはご飯が冷えても美味しく食べられて、確かに素晴らしい発明だと思いましたね~。 照明も、裸電球のソケットの横についたスイッチをパチっとひねってON/OFFするやつです。やたら懐かしかったです。 これらは、ほんの30数年前なんですよ。 一徹が「オリンピックのおかげで仕事は山ほどあるわい」といって日雇い仕事に出かけていくシーンがありますが、おそらく東京オリンピック前の東京の下町は、今のこの平成の時代よりは江戸時代の方に近かったのではと思いました。 なにより一番変わったのは、ライフスタイルよりも、人の心の方かもしれませんが、、、。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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