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テーマ:江戸町文化が好き♪(10)
カテゴリ:江戸町文化が好き
昨日の続きです。
町奉行というと、普段は遊び人の格好で事件を探索して、いざとなるともろ肌脱いで一件落着させる妙なオヤジと思ってる人もいるでしょう。少なくとも裁判官だと思ってる人は多いんじゃないでしょうか? ところが実際は、消防署長、警察庁長官、東京高裁判事に東京都知事を兼ねた激務で、とても遊び人のマネなんかやってる暇はありません(^^; しかも奉行所に持ち込まれた案件は、浴衣一枚盗んだコソ泥でも、ぜーんぶお奉行様が裁きをつけないと先の処理が進まないので、冬の夜中でもお奉行様はたたき起こされて、白州を開いて審議を行ったそうです。 一人で裁ける案件の数なんてたかがしれてますから、要はその程度の案件しか奉行所には持ち込まれなかったということです。 それじゃあいくらなんでも犯罪が少なすぎるので、奉行所に持ち込まれなかった案件はどうなったかというと、これは江戸の住民たちが、自分たちで解決したんです。 江戸という町は、町人が動かしているといっても過言ではない町で、幕府の行政組織である町奉行所には、なんと246人しか人がいないんです(今の東京都職員は軽く10万人を越えますね、、、)。昨日書いた24人のおまわりさんもこの中に含まれます。 驚くべきことに、今話題の郵政の民営化なんて当たり前だし、教育も昌平坂学問所を除けばすべて民間、時の鐘をつくのも民間人、金座・銀座の貨幣の鋳造まで民間まかせです。今の時代は昔に比べて自由だと誤解してる人がほとんどですが、どっこい江戸幕府には庶民を管理しようとする実力もその気もなかったようです。 話がそれましたが、奉行所までいかないもめ事や事件は、実は長屋の大家さんたちが処理するんです。その頃の大家さんというのは、区役所の出張所ともいうべき存在で、戸籍(人別帳といいます)作りから、長屋のもめ事の解決まで、大家さんの仕事です。 大家さん一人で解決できなければ、いくつかの町内で共同管理している自身番に行って、何人かの大家さんたちが集まって解決します。それででもダメなら、その上にいる町名主の玄関先で白州が開かれて、そこで裁きがつけられるという仕組みになってたそうです。 これぜーんぶ一切の税金を使わずに、すべてボランティアで事が進めらところが、現代では考えられないところ。 どうも僕らのご先祖様は、現代のようにお上に頼るという発想はあんまりなくって、自分たちのことなんだから自分たちでやるのは当たり前じゃん、という感覚だったようです。 問題が発生してもそれを解決するのは自分たちだ、となれば、必然的に問題が起きないように工夫していくのは当然でしょう。 今は事件が起きても、それを解決するのは自分たちではなく警察や裁判所や小泉首相であって、「そのために高い税金を払ってるんだから!」と思ってますから、自分たちでそういうことが起きない仕組みを考えていこうというところまでは、なかなか踏み込めませんね。 次回は、江戸の庶民が意図してそうやったかどうかわかりませんが、結果的に極めて犯罪のおきにくい洗練された都市になっていたという話を書こうかと思います。 ※参考文献『大江戸ボランティア事情』(石川英輔/田中優子:講談社文庫) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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