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テーマ:■ムービー所感■(484)
カテゴリ:台湾映画
怪しげな賭けに手を出したシャオカンは、激しい暴行を受けて瀕死の重傷を負う。 行き倒れる寸前、通りかかったインド人労働者たちに助けられ、そのうちの一人ラワンの手厚い看護で徐々に回復していく。 一方、小さな食堂で働いているシャンチーは、女主人の寝たきりの息子の世話もさせられ、一日中働きづめの毎日。ある日、ふたりは偶然出会い、一目で惹かれ合うのだが・・・。 マレーシアの首都、クアラルンプール。この街の底辺に、蠢くように生きる人々の物語。 問題というにはあまりに痛いものを抱えて、主人公たちは淀んだ毎日を送っている。 こころ許せる相手に出会い、はじめて重苦しい日常から脱し、浮上してゆく様を淡々と綴っていく。 意地悪な女主人にこき使われているシャンチーも、外国人労働者の男ラワンも、行き倒れのシャオカンも、だれもが生きる意味を失い孤独。その最たる者は、植物状態である、女主人の息子なのかもしれない。 三人の出会いは、ほんの少しの救いを与えあい、寄り添うことで生きる意味となっていくけれど、ベッドの上で生命を維持しているだけの青年には、どんな救いも訪れることはなく・・・虚しい。 口の利けないらしいシャオカンはずっと無言で、彼ばかりでなく、みんなほとんど言葉を発することはなかった。 あるのは音楽と、雑音としての声ばかり。 『西瓜』までは、おもしろく観てきたけれど、さすがにここまでくると辛くなってくる。 ミンリャン作品はどんどん病んでいくように思うのは気のせいかしらん。 寝たきりの青年とシャオカンの二役を演じたリー・カンションは、変わらない存在感で文句なしだった。 シャンチー役の女優チェン・シャンチーも、いつもすごいと思う。 ふたりは『ふたつの時、ふたりの時間』あたりから、もうずっとこの名前のまま、同じ役者が監督の分身のように演じてきた。 映像を見れば、ツァイ・ミンリャン監督の作品だと、すぐにわかるほどだ。 画面には必ずリー・カンションがいて、不快感な排泄シーンがあり、じっとりした長回しが多用される独特の世界。 廃屋の溜め池、汗、ジュース、尿・・・どこも水=生命力で溢れている。主人公たちがどんなに枯れていても。 水に浮かべたマットで眠り漂いながら、驚くほどの安らぎが浮かびあがるラストが印象的だった。それが幸せに通じるものなのかはわからないけれど、不思議な浮遊感で幕を閉じていった。 監督・脚本/ ツァイ・ミンリャン 製作/ ブリュノ・ペズリー ヴィンセント・ワン 撮影/ リャオ・ペンロン 出演/ リー・カンション チェン・シャンチー ノーマン・アトン (カラー/118分/台湾=フランス=オーストリア合作) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.02.15 23:14:32
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