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テーマ:■ムービー所感■(484)
カテゴリ:日本映画
いまの日本映画界では、数少ない、人間の内面を抉る深淵な作品を撮ることができるという黒沢清監督。 わたしは、初期の『ドレミファ娘の血は騒ぐ』と、ここ数年のサスペンスを数本観たことがあるだけ。ずいぶん評価されている方だと、気にはなっていたものの、これまで私的にしっくりきたことはなかった。奥深であることは分かるけれど、なにか靄の残る印象でいた。 カンヌで賞を獲った『トウキョウソナタ』は、その点、ほんとうにすごい映画だった。 東京に暮らす、一見ごくふつうの四人家族が抱える心の闇と、再生する姿を描いていく。 父の竜平(香川照之)は、突然リストラされ、以来そのことを家族に隠したまま、日中職安に通っている。長男の貴(小柳友)は、将来を決めあぐね、結局アメリカ軍への入隊を決意する。次男の健二(井之脇海)は 学校では浮いた存在で、担任教師との折り合いが悪い。 それぞれに病みを抱えてばらばらな家族を、母の恵(小泉今日子)は優しく受け止めているが、そんな彼女の孤独と空虚な思いを受け止めてくれる者はいない・・・・。 自分のなかにひとつでも、登場人物たちと同じ思いを、見つけ出すことができたら、そうしたら、繰り広げられるドラマを、突き放しては見られないし、ぼろぼろになっても再生できた家族に、心から喜びを感じることができると思う。 孤独の深さ。悩みの深さ。複雑に絡み合う、エゴとエゴ、葛藤。 そこに突然起こるのは、包丁を持って押し入った泥棒(役所広司)と、恵の逃避行――。作品のトーンを変えて、ここまで目立たなかった恵の心の闇がクローズアップされはじめる。 会社から切り捨てられた竜平も、家へ帰れば、家族を傷つけている。ぬくもりの消えた家庭では、心を開くことも、悩みを打ち明けることもできない・・・・。 それらが、泥棒の登場と共に、ばらばらに壊されたとき、初めて再生へと向かう。孤独な一夜をそれぞれに明かしたあと、我が家へ帰ると、同じように帰宅した家族の面々がいて、ほんの少しだけ現状は、変化をみせている――。 次男・健二に芽吹くピアノの才能が、すべての希望の象徴のようだった。平凡で無様な両親だとしても、健二や貴には、世知辛い現代社会にさえ立ち向かっていける可能性がある。 大人たちより、よほど立派に背筋を伸ばして生きている子どもたちが、一番の救いだった。 (カラー/119min/日本=オランダ=香港合作) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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