大災害で、被害に遭われた方、苦しんでおられる方々に
心からお見舞い申し上げます。
地震は人智の及ばぬ、大地の力がなす所業。
だれにも止められないし、従うほかない。
森羅万象に神々が宿ると信じれば、詩聖の紡いだ敬虔な詩や物語の断片は、
おのずと心に入って、抗うことを止める。
世界の中心が人類だと信じる、思いあがりをたしなめる。
最近手に取ったタゴールの精神を思いだして、なにか書こうと思うけれど・・・・。
自然の所作ならば抗わずに諦められるだろうか、受け入れるだろうか。
受け入れるしかない哀しみだけれど、自信がないなぁ。
『ベンガルの苦行者』
この絵本は、天上界の力を求めて修行する若き"苦行者"と
彼の修行を母の如くそっと包み込む“焚き木ひろいの娘”の物語。
修行成就の果てに彼が求めたものは、あの“焚き木ひろいの娘”だった――
寓話詩の新訳に添えられた優しみある絵は、タゴールとおなじ、ベンガル出身の女流画家
ミミ・ラダクリシュナンによる描き下ろし。とても趣のある絵本。
この絵本を読む前に、『タゴール詩集』も読んでみた。
東洋で唯一、ノーベル文学賞を受賞しているタゴール。
その評価されるわけを、少しでも感じとれたらと思ったが、むずかしかった。
素直でやさしい「新鮮澄明な泉の水を飲む」ような慈味を持った詩だから、
むずかしいのは、言葉や表現ではない。
ではなにがといえば、詩の深淵をよみとること。
ノーベル賞選考委員のヘイデンスタム氏の言葉。
<彼のあらゆる感情と思想をひたしている愛情にあふれた強い敬虔さ、心情の清らかさ、
スタイルの高貴で自然なけだかさ--そのすべてが結合して類稀な深い美を持つ一全体を
作りだしている。>
自然を愛し、神を畏れ敬うこころは、アニミズムの精神が自然と身についている
わたしたちに、きっと入り込みやすい。
タゴールのように敬虔でいることは到底不可能だけれど、彼が評価したという、
日本人の自然を愛する美意識は、わたしの中にも認められる、詩との共通点のような気がした。
東洋の感性と精神は、100年前のヨーロッパで、高い評価を得た。
これが無二の敬虔さ、無二の高貴さ、無二の美というものだろうか。
(1861~1941)
本書には、詩集<園丁><選詩集><新月><愛人の贈物><踏切り><ギタンジャリ>
<白鳥><収穫祭><捉えがたきもの><黄金の船>などの中から、代表的なものが収録されている。