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2006年10月17日
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カテゴリ:時事ごと 
福岡の中2生徒の自殺。

いじめが原因で、その発端を作ったのは、1年の時の担任だったと言われている。
Yahooニュースでこのことが取り上げられていて、あるお偉方はこのように書かれていた。

埼玉県教育委員の高橋史朗・明星大教授の話

 「最大の問題は、子供と心のキャッチボールができず、心の痛みを共感できない教師の存在だ。教師に求められるのは知識・技術の伝達だけで、『時代が要請する教師像とは何か』という視点が戦後教育からすっぽり抜け落ちていた。このため、子供を不用意に傷つける教師の言動が増えている。今、教育現場に問われているのは教師自身の人間力。望ましい教師像とは何かを改めて考え、教師の養成、採用、研修に努めるべきだ」

 プロ教師の会を主宰する河上亮一・日本教育大学院大教授の話

 「学校社会には、教師が教え、生徒が学ぶというある種の上下関係が必要だが、この関係を誤解する教師がいる。自分が偉いと思い込み、生徒に横暴に接するのだ。今回の事件も教師の側に問題があったことは否めない。ただ、教師や学校を非難するだけでは根本的な問題解決にならない。どんな学校にもトラブルやいじめは存在する。その現実から目をそらさず、家庭や地域も積極的に学校運営に関与すべきだ

いじめの定義として文部科学省は

(1)自分より弱いものに一方的に
(2)身体的、心理的な攻撃を継続的に加え
(3)相手が深刻な苦痛を感じている

なのだそうだ。これじゃ隠蔽体質がなくならない訳だ。

どんな些細な事でも、いじめられたといじめを受けていると、被害者が思った時点で
いじめは成立するのだ。
だけど、そこはセクハラなどと同じで、やられたほうは、「いじめられた・セクハラされた」と
思っていても、加害者となる相手にとっては、「他愛のないこと」だったのかもしれない。

「人の物の受け取り方」一つで、いじめになるか、ならないか、が決まるのだ。

だから私は、自分がいじめられていた経験から言わせてもらうと、
いじめたほう(加害者)ばかりを悪く言うが、いじめられるヤツにも、問題はある。
と思うのだ。

最近の親や、いじめられた本人は、自分を(我が子)の言動を見直していないまま、
一方的に非難するだけに思えて仕方ない。

自殺した、男の子の親御さんは、TVで「何で気づいてあげられなかったのか、何で話してくれなかったのか・・・」と言って泣き崩れる。
厳しい事を言うが、私に言わせれば、「親が子どもを見ていなかった。」
「子どもに話す機会を与えていなかった」「子どもが親に話せる家庭環境ではなかった」
だけだろうと・・・・。

私がいじめられていた時は、母などに、そんなことを話せば「あんたが悪いんやろ」と一蹴されて
話にも何もならず、言うだけ怒られて、嫌な思いをするだけだと思って、何も言えずにいた。
日ごろ勤めに出ている、親に変な心配をかけたくない。と言うのもあったのかも知れない。

きっと、亡くなった子のお家もこんなだったんだろうか?なんて思うのだ。

そりゃ~私が子どもの頃は、まさに「クソ生意気なガキ」だったと、今になって思う。
5歳頃から家の鍵を持たされ、3つ下の妹と、「入学前の練習」と言われ、保育園に2人で行って
帰りは時間が来たら、2人で帰って、母・父の帰宅を2人で待っていた。
そんなことをキッチリやっていたものだから、小学校に入って、保育園からの鍵っ子仲間は
いたものの、心のどこかで「私とあんたらは違うんや」って思っていた気がする。

そんなだったから
いじめられても、向こうっ気だけは、今でも強いんで、「こんなヤツラに負けてたまるか」
って思ってた。
性格も、よくなかった。言われた事を真に受けて、真剣に怒ってしまうのだ。
からかわれたら、それに
真剣になって怒る→けんかになる→1対多数になってしまう・・・=いじめられてると思う。
となる訳だ。

被害妄想も酷く、ちょっとの事で、先生に告げ口したりもしてた。
悪循環だった。これが中学まで続いた。
中学1年のときに出合った担任の先生に、自分の事を気づかせてもらえて、少し変わる事が出来た。
そのおかげで、からかわれた時の、対処法なんかも自然と体得していって、
少しずつ、一人でいることが減っていった。

今の自分があるのは、その先生が真剣に向き合ってくれたからだと思う。
自分の子どもが、子どもの頃の自分と同じような言動を取って、けんかをしてきても
ちゃんと、何が悪いのか、を言って聞かせられる。どうにかこうにか子どもの話を聞いてあげられる、聞いてあげようと思う。「自分が子どもの時、こうして欲しかった」と思っていた事を出来る
そんな私そっくりな、子どもを見ていてイライラするんだけど、昔の自分と、同じ思いをさせたくないと、そう言う行動を取れる自分にしてくれたのは、この先生のおかげ。

登校拒否や自殺に気持ちが向いた時もあった。
だけどそうしなかったのは、「いやな事を話できない親と、向き合ってくれた先生」のおかげだと
思っている。

最近の先生って、どこか、子どもと向き合ってない気がして仕方ない。
これも、今のご時世を作っている原因の一つだと思える。
だけど、三無主義とか事なかれ主義の中で育ってきた、私たちの世代。
今の子が、私が子どもの頃のように「自分がやらなきゃ誰がやる」みたいな境遇に置かれる子どもは、まずいないと言って良いだろう。
だけど、結局それがいじめの対象になってしまったんだとしてもそこ(自分ガやらなきゃ・・)に最後の踏み留まる力があったんじゃないかと・・・。

この年になって思うのです。

いじめられて死に逃げるのは、負けです。
死に勝ちの様に、言う人もいるけど、何も言わせてあげられなかった周りも、勇気を出してそれを
声に出せず、死んでいった子も悪いんだと私は思うのです。
一番悪いのは、いじめた奴らなんですけど。いじめた奴らに「いじめました」という認識があったかどうか、私にはわかりませんから。何度も言うけど、いじめたつもりは無くとも、向こうがいじめたといえば、「いじめ」になるのですから・・・・。どっち悪いとも言い切れないように私は思うのです。
一番は、いじめられてると思っている、いじめられっこの気質です。根っこを強くならないとって思うわけです。最近の子どもは、なんでも人のせいにして、根っこ(芯が)が無い様に思えて仕方ない。だからすぐキレるし、死に逃げる。

生活苦が原因で死んでいく人と、いじめが原因で死んでいく学生。
人生を悲観している所は同じだと思いますが

根本が全然違うと思います。





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最終更新日  2006年10月17日 12時17分26秒
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