旧横浜船渠株式会社第一号船渠(ドック)
国指定重要文化財である。第一号ドックは、隣接する第二号ドック(現在ドックヤードガーデン)と同様、安政6年(1859)の横浜開港以来進められていた港湾施設の拡充整備に伴い、横浜船渠株式会社が船の修繕用に建設したものです。横浜港修築第一期工事計画を構想した英国人技師 H.S.パーマーが、明治22年(1889)に作成した計画案に基づき、海軍技師恒川柳作が設計し、明治31年12月に竣功しました。建設当初は総延長168mでしたが、横浜港に入港する船舶の大型に伴い、大正6年(1917)5月から7年8月にかけてドックの渠頭部を内陸方向に延長し、総延長204mとまりました、横浜船渠株式会社は、昭和10年(1935)三菱重工株式会社と合併し、三菱重工業横浜船渠(後、同横浜造船所)となりました。昭和58年(1989)同横浜造船所移転に伴い、第一号ドック及びその周囲地は横浜市の所有となり、昭和60年からは日本丸メモリアルパーク内で帆船日本丸を係留するドックとして保存活用されています。この旧横浜船渠株式会社第一号ドックは、建設当時、最大規模を有した明治時代の代表的乾船渠(ドライドック)の一つで、大正期の築造された躯体延長部分も土木技術の時代的特徴をよく示し、ドライドック築造技術の変遷を知るうえで価値が高く、また、官民の協調により実現した横浜港修築第一期工事の最後を飾る土木構造物で、近代横浜の都市形成史上も重要です。