横浜とバラ
横浜とバラの関わりは、開港により数多くの西洋文化と一緒に上陸したことに始まります。明治の初め、山手の外国人住宅の庭に梅、桜、菊、ぼたん等、日本の園芸植物と一緒にかつて見たこともない美しい花が咲き誇っており、これを見た人々は「いばらぼたん」とか「洋ぼたん」と呼んで、この珍しい渡来植物を羨望のまなざしで見ていました。その後、外国人との交流が盛んになるにつれて、市民の庭にも植えられるようになりました。昭和6年、当時親交のあったアメリカのシアトルに高さ4mの桃山式太閤型の石灯籠を贈ったところ、その返礼として 200種 3,000本のバラが届けられました。これらのバラは「日米親善のバラ」として当時の野毛山公園、山下公園、横浜市児童遊園地に植えられました。また、昭和10年から「バラ祭」が催され、その行事のひとつに「バラ行進」があり、馬車や自動車に市長を始め来賓やミス・ヨコハマが乗ってパレードしました。これが、現在5月に開催する国際仮装行列のもとになりました。これらの行事は戦争のため、中止され、バラもすべて姿を消してしまいました。昭和24年に「日本貿易博覧会」が山下公園等を会場に開催され、当時最新の「ピース」を始め数種のバラの切り花がサンフランシスコから空輸され世界の注目を集めました。平成元年9月市民投票で一番人気のあった「バラ」が「市の花」に制定され、横浜博覧会(YES’89)の会場で発表されました。