明治時代、測量の水準点
横浜市南区にある中村八幡宮は、約千年前にこの地にまつられていて、八幡大明神と称していたと言われる。参道入口には、明治時代の測量に使われていた水準点(内務省地理寮水準点(高低几号標))があり、市の地域文化財に登録されている。明治7年(1874)1月内務省地理寮(後に地理局)を設置して以来、開港の5港や主要都市の市街図が作製された。横浜では、明治7年~8年(1874~5)に地図作製の骨格となる三角測量および水準測量が行われ、明治14年に実測図が刊行された。横浜は、近代測量による地図(1/5,000)が完成した最初の開港地であった。この時の水準点が内務省地理寮水準点(高低几号標)である。中村八幡宮の内務省地理寮水準点は、参道入口にある石会談の登り口の角柱に彫刻されており、当時の地図と比較して位置が動いていないと思われる。横浜において内務省地理寮水準点は中村八幡宮のほかに4カ所で発見されているが、いずれも当初の位置にない。かなりマニアックな話であります。結構すきだなぁ~。好きなのは当然「水準点」であります。