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カテゴリ:想うこと
「ぼくはリスナーの大半は内容を聴いているようで、本当はそれほど集中していないように思う。もちろん必要な情報は抽出してピックアップするでしょうが、それよりも耳を傾けるのは語り手の声の表情、間合い、抑揚etc...そういったものの方に信頼性と, それによる安心や確信を瞬間瞬間で感じながら楽しんでいるように思う. 逆に言うと情報の信頼性を左右するのは, 極端な話、情報ソースよりも語り手のそれらだったりする事もままあったりします.」 ぼくが20年以上のDJ経験で確信を持っている事です。 米国の心理学者アルバート・メーラビアンは, 当事者が話す場面で相手に与えるインパクトに「言語情報」「視覚情報」「聴覚情報」の三要素があるとしています。 それぞれの影響力は,,, 「言語情報」~言語そのものの意味 7% 「視覚情報」~見た目、表情、しぐさ、視線 55% 「聴覚情報」~声の質、速さ、大きさ、口調 38% これを見ても内容うんぬん以上に, 声自体やまたその周辺に関しての極感情的, 本能的な部分で相手を判断しているのですね。 もちろん、これは歌にも言える事でしょう。 よく歌詞があっての曲, 歌だと順番をつけたがる人がいますが、本質はあくまで対等であることがこれからも判断できます。 つまり、「内容」を, より深みあるもの, 意味あるものにするのは内容の更なる詰め以上に声質や技術も含んだ「表現」なのですね。 Steely Danは「ぼくらは歌詞はなるべく限定性を排除する。つまり、何を歌ってるのかわからなくするって事さ。だからこそ、音楽やアンサンブルが各個人個人の聴き手にそれぞれの解釈で意味を語り始める。もちろん万人にわかる歌詞は楽しいし, それがポップスだけど、それだけで歌ってものを知った気にならない方がいい。歌わない人ほど、歌詞至上主義の信奉者が多いのが事実だ。」 (ジョンレノンも同意な事をビートルズのリボルバーあたりから語り始める) 逆に、歌詞がな~~んでもない事を歌ってるのに曲と歌い手で、とても意味あるものに聴こえるのも歌の楽しさ。 にしきのあきらの「空に太陽がある限り」なんかはベタな典型です つまり、いろいろ対等にあっていいって事ですね。 そして、今回なにを言いたくて上記の事をつらつら書いてきたかといいますと、言語情報よりも視覚情報、聴覚情報を決定していくのはスキルのアップなんかよりも, 特に人生が積み重なっていけばいくほど100万倍大切な人間性の充足、充実にかかってくるわけです。 それは文化性や芸術性のアップも大事だけど、その何倍も人としての温かさや思いやりや複眼性や利他主義でいれるかにかかってもくるのですね。 おもしろいのが、そうすっと逆に演奏や歌も利己から利他になって, より届くものになるから不思議。 若い頃は才能と勢いと運で日々こなせていけるのですが、実はそれは成熟期にどう生きるかのお試し期間なのだなあ、と頓に感じる昨今なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 27, 2010 05:15:34 PM
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