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カテゴリ:想うこと
1982年頃ってLPレコードが2.500円で、コンサートが2.800円って感じだったのだねえ。
レコードの製作費は、今みたいにPCの恩恵もないから、今の10倍も普通だったのにも関わらず。 レコードが売れてたから、コンサートはプロモーションって概念だったのかな。 今は主従が逆転してしまった。 実演の才能があってこそアーティストだから、一見「本質の時代」と括って、その現実論をゴールとしてしまいがちだが.... 定額ストリーミングとかが落ち着いて、音楽にまたお金を支払うようになってくと、分配も増えてコンサートも安くできるようになるのかもだけど、すげえ先だなあ。 レコード(録音されたもの)は何度も聴けて何百円/1曲だし、コンサートは一回限りだけど安いと何度も行けるし、いろんな人のを観に行けるし、ってことは売れてる人のばっか見て後はおあずけから脱却できるし、ってことは耳も肥えるし、そうすると質のいいもの聴きたくなるし(おいしいもの屋の時流の変化と同じ)、したらアーティストの質も上がらざるを得ないし、やっぱレコードでアーティストに分配が十分に行くようになると、コンサートもリーズナブルな価格まで下げられるようになって.... そしたら、作り手も聴き手もWINWINなはずだし。 稼げる人が稼ぎ逃げしてる間に、どれだけの才能が埋没してしまうんだろか。。。 もちろん稼げる人はたくさん稼がなくてはだめだ。 要はそれが「還流」しているか、させる意識があるかどうかだ。 T・スィフトのApple Musicへの直訴のような俯瞰性と大局性は大事にしたい。 「ああ、自分がスターだったらなあ...ビッグだったらなあ...」と、いろんな意味で牽引できないことに、いつも悔ゆるとこでもある。 芸能界は弱肉強食とは言われて久しいけど、弱いのを喰い続けたら、強いものが喰うもの自体がなくなる。。。ってのがまさに今なんだろう。 野生の動物は無駄喰いしないのである。 いまや全盛のアイドル陣のオケや曲や詩を書いてる人たちも、アイドルだけ聴いて音楽的な素養を培ったのではないし、そもそもアンサンブルを組むって事を学ぶためにも不可能だ。 ユニクロのしゃれた安い商品も、手作りのハイコストな世界中のモードの才能の応用だ。 そんなもっとも大衆に近い創作陣の元になる、ヒント、吸収の対象になるものが衰退すると、いつかセンスある廉価な服も、大衆的なアイドルが歌う和む曲も生まれなくなる。。。 クラシックやブルース、R&Bがなかったらビートルズはない。 まぐろの養殖も始まったし、育成と消費はもはやサークルじゃないとなあ。。 こうしてみると、供給メディアを左右するテクノロジーの発展に翻弄される時代の流れ自体が、とてもいきあたりばったりだ。 ぼくはいつまでもAKBのいい曲は聴きたいし、ジョン・ケイジの世界にも浸りたいし、その両方が楽しめるようになったから、その両方の素晴らしさが理屈を超えて沁みてくる。 便宜上述べたその両者の間に、端的にいうと、すべてのジャンルが収まっているに『過ぎない』と言ってもいいと思っている。 どんな作り手も聴き手も、みんながみんな幸せに、リーズナブルに音楽を楽しめる時代になったらいいなあ。。。 <レコード興隆期の多彩で多才な音楽とgive&takeな関係のCM> https://www.youtube.com/watch?v=ErhUIhtVN1c お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 6, 2015 01:39:42 AM
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