主の洗礼(B年任意)の答唱詩編
165 喜びに心をはずませ【はじめに】 主の洗礼の祝日は、各年共通の朗読箇所があり、A年は必ずこれを読みますが、B年とC年は、この共通箇所と任意の箇所のいづれを読むこともできます。「聖書と典礼」では、B年とC年には、この任意の朗読が掲載されていますので、『今日の聖歌』でも、この任意の箇所の答唱詩編を扱います。【解説】 答唱句もここから取られているイザヤ書の12章の3節は、有名なフォークダンス「マイム・マイム」(マイーム・ベサソン=喜びをもって水を)の元となった箇所です。イザヤの12章は、ユダとエルサレムに関する預言の最後の部分です。11:11-16で、出エジプトの出来事が思い起こされ、12:1-6の救いに感謝する歌の導入となっています。さらに、この12:1-6は、出エジプト記の「海の歌」(15:1-18)にある、神が「住まいとして自ら造られた所、御手によって建てられた聖所」(15:17)の成就となっています。 答唱句は八分音符や十六分音符などの細かい音符を多く用いて、大きな喜びを持って歌われます。「よろびに」は、各音節が異なる音価で歌われ、旋律も一気に最高音C(ド)に上昇し、喜びの心を高めています。「こころ」と「すくい」は付点八分音符+十六分音符のリズムで、これらにはさまれた動詞「はずませ」の心の動きを促し、「はずませ」の旋律はA(ラ)とG(ソ)を反復し、バスではH(シ)=を用いて転調することで、ことばを生かしています。 「救い」では、旋律が6度跳躍し、キリストによる尽きることのない泉に象徴される神の救いの豊かさ(ヨハネ4:7-15)を表しています。最後は、旋律が低音部で歌われ、この尽きることのない泉から水を汲む姿勢が暗示されます。 詩編唱は、数少ない2小節からなるものの一つで、旋律も和音も複雑ではありませんが、逆にそれが、歌われることばの多さを生かすもの、となっています。 今日の第一朗読とこの答唱詩編は、復活徹夜祭の第五朗読と同一です。この第五朗読は、洗礼の恵みを表すもので、第五朗読が読まれなかった場合で、洗礼式がある場合には、第七朗読のあとにこの答唱詩編を歌うように勧められています。それほど、この答唱詩編は、洗礼の恵みを先取りするものとされています。 主の洗礼の祝日に、第一朗読を受けてこの答唱詩編が歌われることは、すべての洗礼の源である主の洗礼にふさわしいものと言えるでしょう。【祈りの注意】 答唱句は、十六分音符の活き活きした動きを生かして歌いましょう。「はずませ」のA(ラ)とG(ソ)を反復は、ややマルカート気味にするとよいかもしれませんが、はっきりしたマルカートではやりすぎですので、そこまでにはならない程度にします。「はずませ」のあとは、息をしますので、この前で、ほんのわずかですが rit. し、「せ」の八分音符は、テージスの休息を生かし、そっと置くように歌います。そして、その八分音符の中で、すばやく息を吸って、先を続けます。「神の み旨を行うことは」「神よ あなたはわたしのちから」なども同様です。最後は、「救いの泉から水を汲」んでいるように、静かに rit.してゆき、落ち着いて終わりましょう。特に、最後の答唱句は、この rit.をより豊かにすることで、品位ある歌い方になります。 詩編唱は洗礼によって与えられた、救いの喜びを思い起こしながら先唱してください。詩編唱の1節、および2節と3節の2小節目は、音節(ことば)が多いので、早めに歌います。そうしないと、答唱句とのバランスが取れないからです。1節は、神の救いに信頼した、確固とした決意を持って、2節と3節はその救いを世界に伝えることを、すべての神の民に呼びかけるように歌いましょう。【オルガン】 オルガンのストップ(レジストレーション)ですが、この喜びを十分に表すようにしてください。とは言っても、答唱詩編は、第一朗読の黙想を助けるものですから、派手なプリンチパルは控えましょう。フレーテ系で2フィートを入れ、場合によっては、8+2という組み合わせもよいかもしれません。