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カテゴリ:答唱詩編
81 神よわたしに目を注ぎ
【解説】 詩編85は、バビロン捕囚から帰ったイスラエルの民が、困難な状況に直面したとき、神に、平和の回復を願ったものです。<同義的並行法>を用いることで、神から与えられる「いつくしみ」「平和」「正義」「まこと」が強調されます。9-14節は<第二イザヤ>の思想に基づいていて、メシア(キリスト)の到来によってもたらされる、平和な時代を預言しています。 <同義的並行法> 古来イスラエルやオリエントの文学で用いられた文学手法の一つ。類似した表現を繰り返すことで、思考リズムに訴え、朗唱される事柄を強調し、たやすく記憶させることが目的。 <第二イザヤ> イザヤ書40-55章を指す。イザヤ書は、その文体や思想などから「アモツの子イザヤ」という一人の預言者ではなく、彼の精神、思想を受け継いだ多くの後継者の加筆、著述がまとめられたというのが、現在の研究の一般的な見解。 答唱句は、最初の2小節、中音部→三度の下降→二度の上行を繰り返します。後半は、G(ソ)→C(ド)という四度の跳躍と付点八分音符+十六文音符のリズムで「強めて」を強調します。「ください」は、倒置の終止を表すために、ドッペルドミナント(5度の5度)という、属調での終止を用いています。が、すぐに元調へ戻り、反行を繰り返しながら終止します。 詩編唱は、グレゴリオ聖歌の伝統を踏襲し、属音G(ソ)を中心にして歌われます。 【祈りの注意】 答唱句で最初に繰り返される音形は、畳み掛けるように歌いましょう。この部分をメトロノームではかったように歌うと、祈りの切迫感が表せません。「神よ」と「目をそそぎ」という、四分音符の後の八分音符を、早めの気持ちで歌います。上行の部分も、上り坂でアクセルを踏み込むような感じで歌うと、祈りの流れが途絶えません。冒頭はmf 位で始め、上行毎に cresc. して、「強めて」で頂点に達し、音の強さも気持ちもff になります。その後は、徐々に、 dim.しながら rit. しますが、精神は強めたまま終わらせましょう。最後の答唱句では、特にこの rit. を豊かにすると、いつくしみの目を注いでくださり、強めてくださる神の手が、静かに優しくわたしたちの上に伸べられる様子が表されるでしょう。 詩編唱は、第一朗読の「静かにささやく声が聞こえた」を受けて始まります。「平和」とは、単に戦争や争いがないことではなく、神の支配が完全に行われることを言います。「平和」の到来は、神の一方的な行動ではなく、わたしたちの回心が前提になっていることが、詩編唱の3節で言われていることに注目しましょう。 4節では「栄光はわたしたちの地に住む」と歌われますが、今も、神の栄光の現れであるイエス・キリストは、特に、ミサの中でわたしたちとともにいてくださいます。 5節は、<同義的並行法>がよくわかります。また、1小節目の歌詞は、イザヤ45:8(301「天よ露をしたたらせ」)を思い起こさせます。 「正義」「平和」「いつくしみ」「まこと」は、世の荒波を進む神の民を、神の支配を阻む「強風」から守る主・キリストを指していると言えるでしょう。詩編唱の祈りが、福音朗読へとつながる黙想となるように、先唱者の方は、祈ってください。 【参考文献】 『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 (サンパウロ 1968 ) 『旧約新約聖書大事典』(教文館 1989) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.07.27 17:40:54
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