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カテゴリ:答唱詩編
80 神よわたしに目を注ぎ
【解説】 詩編80は、民の嘆きの祈りです。この祈りの伏線には、紀元前722年に北イスラエルを滅ぼした、アッシリアの侵攻があります。ここでは、イスラエルをぶどうの木にたとえています。神の導きによってエジプトから脱出した民は、神によってイスラエルに植えられ、北はレバノンの山まで、西は地中海、東はユーフラテス川にまでその枝を伸ばします。しかし、指導者と民背きのために、アッシリアによって滅ばされます。この、危機的状況で、神に救いを求めた嘆きがこの祈りです。 答唱句は、最初の2小節、中音部→三度の下降→二度の上行を繰り返します。「目を注ぎ」は、前半の最高音が用いられて、神の救いのまなざしが暗示されます。後半は、G(ソ)→C(ド)という四度の跳躍と付点八分音符+十六文音符のリズムで「強めて」を強調します。さらに、この部分、「強め」では、和音もソプラノとバスが2オクターヴ+3度開き、ここに強調点が置かれていることがわかります。「ください」は、倒置の終止を表すために、ドッペルドミナント(5度の5度)という、属調での終止を用いています。が、すぐに元調へ戻り、反行を繰り返しながら終止します。 詩編唱は、グレゴリオ聖歌の伝統を踏襲し、属音G(ソ)を中心にして歌われます。 【祈りの注意】 答唱句で最初に繰り返される音形は、畳み掛けるように歌いましょう。この部分をメトロノームではかったように歌うと、祈りの切迫感が表せません。「神よ」と「目をそそぎ」という、四分音符の後の八分音符を、早めの気持ちで歌います。上行の部分も、上り坂でアクセルを踏み込むような感じで歌うと、祈りの流れが途絶えません。冒頭はmf 位で始め、上行毎に cresc. して、「強めて」で頂点に達し、音の強さも気持ちもff になります。その後は、徐々に、 dim.しながらrit. しますが、精神は強めたまま終わらせましょう。最後の答唱句では、特にこの rit. を豊かにすると、いつくしみの目を注いでくださり、強めてくださる神の手が、静かに優しくわたしたちの上に伸べられる様子が表されるでしょう。 詩編唱は、第一朗読、イザヤの預言の「ぶどう畑の愛の歌」を受けて、歌われます。ちなみに、この中の、イザヤ5章の4節は、聖金曜日のとがめの交唱の中(後)、『典礼聖歌』では334「ハギオス・ホ・テオス」(ギリシャ語で「聖なる神よ」)で歌われます。 福音では、エルサレムでの受難を暗示して、キリストは、神をぶどう園の主人、ご自分をその息子にたとえています。ヨハネ15章1-17節では、キリストはご自身を、ぶどうの木にたとえておられます。このぶどうの木は、全世界に枝を広げ、いのししやけものにも荒されることはありません。また、このぶどうの木につながる人は、必ず豊かな実を結ぶのです。 詩編唱の6節で歌われる「あなたの右腕である人」はキリストを、「強められた民」はキリストを信じる民です。キリストは、かつてのぶどう畑とは異なり、「死の国に見捨てられること」(詩編16:10)はありませんでした。詩編を歌うかたは、キリストの復活にあずかった(洗礼)喜びを思い起こしながら詩編を、特に「あなたから離れることなく、いのちであるあなた呼び求める」ように歌ってください。 《おことわり》 今日の答唱詩編は、答唱句が共通する年間第19主日のから一部転用し、加筆いたしました。 【参考文献】 『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968 ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.11.02 05:44:53
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